・・・一本道の両側に三丁ほど茅葺の家が立ちならんでいるだけであったのである。音楽隊は、村のはずれに出てしまってもあゆみをとめないで、螢の光の曲をくりかえしくりかえし奏しながら菜の花畠のあいだをねってあるいて、それから田植まっさいちゅうの田圃へ出て・・・ 太宰治 「逆行」
・・・家内中が、流行性感冒にかかったことなど一大事の如く書いて、それが作家の本道だと信じて疑わないおまえの馬面がみっともない。 強いということ、自信のあるということ、それは何も作家たるものの重要な条件ではないのだ。 かつて私は、その作家の・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・これは、ひょっとしたら、断頭台への一本道なのではあるまいか。こうして、じりじり進んでいって、いるうちに、いつとはなしに自滅する酸鼻の谷なのではあるまいか。ああ、声あげて叫ぼうか。けれども、むざんのことには、笠井さん、あまりの久しい卑屈に依り・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 私は秋の日など、寺の本堂から、ひろびろとした野を見渡した。黄いろく色ついた稲、それにさし通った明るい夕日、どこか遠くを通って行く車の音、榛の木のまばらな影、それを見ると、そこに小林君がいて、そして私と同じようにしてやはり、その野の夕日・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・カンジーにあるという仏足や仏歯の模造がある。本堂のような所にはアラバスターの仏像や、大きな花崗石を彫って黄金を塗りつけた涅槃像がある。T氏はこれに花を供えて拝していた。 帰途に案内者のハリーがいろいろの人の推薦状を見せて自慢したりした。・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
九月二十四日、日曜日、空よく晴れて暑からず寒からず。数学の宿題も午前の中に片付けたれば午後半日は思うまま遊ぶべしと定まれば昼飯待遠し。今日は彼岸にや本堂に人数多集りて和尚の称名の声いつもよりは高らかなるなど寺の内も今日は何・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・墓地となった事は説くに及ぶまい。墓地本道の左右に繁茂していた古松老杉も今は大方枯死し、桜樹も亦古人の詩賦中に見るが如きものは既に大抵烏有となったようである。根津権現の花も今はどうなったであろうか。 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十・・・ 永井荷風 「上野」
・・・車は電車通から急に左へ曲り、すぐまた右へ折れると、町の光景は一変して、両側ともに料理屋待合茶屋の並んだ薄暗い一本道である。下駄の音と、女の声が聞える。 車掌が弘福寺前と呼んだ時、妾風の大丸髷とコートの男とが連立って降りた。わたくしは新築・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・私は所定めず切貼した本堂の古障子が欄干の腐った廊下に添うて、凡そ幾十枚と知れず淋しげに立連った有様を今もってありありと眼に浮べる。何という不思議な縁であろう、本堂はその日の夜、私が追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中に、すっかり灰になっ・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下に佇んで、歌沢の端唄を聴いていたいと思った。永代橋を渡って帰って行くのが堪えられぬほど辛く思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人斎藤緑雨の如く・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫