・・・ けれど、やがて妹が運んで来た鍋で、砂糖なしのスキ焼をつつきながら飲み出すと、もうマダムは不思議なくらい大人しい女になって、「――お客さんはまアぼつぼつ来てくれはりまっけど、この頃は金さえ出せば闇市で肉が買えますし、スキ焼も珍らしゅ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・思いがけなかった古い親戚の人たちもぼつぼつ集ってきた。村からは叔父と、叔母の息子とが汽車で来た。父の妹の息子で陸軍の看護長をしているという従弟とは十七八年ぶりで会った。九十二だというが血色といい肉づきといい、どこにも老衰の兆しの見えないよう・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ というようなことから、K君はぼつぼつそのことを説き明かしてくれました。でも、はじめの間はなにか躊躇していたようですけれど。 K君は自分の影を見ていた、と申しました。そしてそれは阿片のごときものだ、と申しました。 あなたにもそれ・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 丘の上のそこかしこの灯が、カーテンにさえぎられ、ぼつぼつ消えて行った。「お休み。」 一番手近の、グドコーフの家から、三四人同年兵が出て行った。歩きながら交す、その話声が、丘の下までひびいて来た。兵営へ帰っているのだ。 不意・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 夏近くなって山へ遊びに来る人がぼつぼつ見え初めるじぶんになると、父親は毎朝その品物を手籠へ入れて茶店迄はこんだ。スワは父親のあとからはだしでぱたぱたついて行った。父親はすぐ炭小屋へ帰ってゆくが、スワは一人いのこって店番するのであった。・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ 古いことがぼつぼつ復活する当代であるから、もしかすると、どこかでまたこの「鴫突き」の古いスポーツが新しい時代の色彩を帯びて甦生するようなことがないとも云われないであろう。 この方法が鴫以外のいかなる鳥にまで応用出来るかということも・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・二人はしばらく物も言えませんでしたが、やっとブドリが、その後のことをたずねますと、ネリもぼつぼつとイーハトーヴの百姓のことばで、今までのことを話しました。ネリを連れて行ったあの男は、三日ばかりの後、めんどうくさくなったのか、ある小さな牧場の・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
――この頃は、ぼつぼつソヴェト映画が入って来るようだね。「アジアの嵐」なんか猿之助の旗あげにまで利用されて賑やかだった。あれはあっちでも、勿論傑作の部なんだろう? ――そりゃそうさ。はじめてモスクワの「コロス」っていう・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・商業新聞のやりかたにいためられてはじめは会うのも話をするのもいやがっていた令兄子之吉氏は、やがて『文学新聞』というもののたちがわかって、ぼつぼつ話しはじめたと書かれている。その話の中に次の言葉があった。八月八日に「はじめて面会を許されて弟に・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
出典:青空文庫