・・・ おばあさんは、いま自分はどこにどうしているのかすら、思いだせないように、ぼんやりとして、ゆめをみるようにおだやかな気持ですわっていました。 このとき、外の戸をコト、コトたたく音がしました。おばあさんは、だいぶ遠くなった耳を、その音・・・ 小川未明 「月夜とめがね」
・・・ この とき、ドンコ、ドンコと あさの おみやの たいこの 音が して、正ちゃんは ゆめから さめたので あります。 小川未明 「はつゆめ」
・・・「ゆめうつつで遣ってるからじゃ」 過失などをしたとき母からよくそう言われた。その言葉が思いがけず自分の今為たことのなかにあると思った。石鹸は自分にとって途方もなく高価い石鹸であった。自分は母のことを思った。「奎吉……奎吉!」自分・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・三本木もゆめ路にすぎて、五戸にて昼飯す。この辺牛馬殊に多し。名物なれど喰うこともならず、みやげにもならず、うれしからぬものなりと思いながら、三の戸まで何ほどの里程かと問いしに、三里と答えければ、いでや一走りといきせき立て進むに、峠一つありて・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・さいわいにも、あなたに、少しでも人間らしいお心がございましたら、今後、態度をおあらため下さることを確信いたします。ゆめにさえ疑い申しませぬ。明瞭に申しますれば、私は、貴方も、貴方の小説も、共に好みませぬ。毛虫のついた青葉のしたをくぐり抜ける・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・きのをから、ねるほどに、ねるほどに、ゆめばかり見るわい。 さるのこくにいでて、いぬのこくに、やいろへもどる。○同十八日。なにをしたやら、わけがわからぬ。○同十九日。なんにも、することがない。あつや、あつや。○同二十日。また・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・中谷孝雄なる佳き青年の存在をもゆめ忘れてはならないし、そのうえ、「日本浪曼派」という目なき耳なき混沌の怪物までひかえて居る。ユダ。左手もて何やらんおそろしきものを防ぎ、右手もて、しっかと金嚢を掴んで居る。君、その役をどうか私にゆずってもらい・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 自分で生活費を稼ごうなど、ゆめにも思うたことなし。このままなら、死ぬるよりほかに路がない。この日、濁ったことをしたので、ざまを見ろ、文章のきたなさ下手くそ。 檀一雄氏来訪。檀氏より四十円を借りる。 月 日。 短篇集「晩年」・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・その夜のゆめもまどらかでした。けれども女は一度寝てから又起き上って長く長くのばした髪を指さきでいじりながらこんなことを云って又ねました。女「いくらローズが何と云ってもだめだ。私は彼の美くしい若い詩人を愛しているんだもの。どんな事があって・・・ 宮本百合子 「無題(一)」
・・・われ老いたれど、人の情け忘れたりなど、ゆめな思いそ。向いの壁にかけたるわが母君の像を見よ。心もあの貌のように厳しく、われにあだし心おこさせたまわず、世のたのしみをば失いぬれど、幾百年の間いやしき血一滴まぜしことなき家の誉はすくいぬ』といつも・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫