・・・いまごろ、まだ、自意識の過剰だの、ニヒルだのを高尚なことみたいに言っている人は、たしかに無智です。」「やあ。」男爵は、歓声に似た叫びをあげた。「君は、君は、はっきりそう思うか。」「僕だけでは、ございません。自己の中に、アルプスの嶮に・・・ 太宰治 「花燭」
・・・心の底まで透明になってしまって、崇高なニヒル、とでもいったような工合いになった。しずかに寝巻に着換えていたら、いままですやすや眠ってるとばかり思っていたお母さん、目をつぶったまま突然言い出したので、びくっとした。お母さん、ときどきこんなこと・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・しかもニヒルには、浅いも深いも無い。それは、きまっている。浅いものである。さちよの周囲には、ずいぶんたくさんの男が蝟集した。その青白い油虫の円陣のまんなかにいて、女ひとりが、何か一つの真昼の焔の実現を、愚直に夢見て生きているということは、こ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・どんなにひどいニヒルにでも、最後まで附きまとうものは、食べものであるらしい。しかもこの男は、味覚を知らない。味よりも、方法が問題であるらしい。めんどうくさい食べものには、見向きもしない。さんまなぞ、食べてみれば、あれは、おいしいものかも知れ・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
出典:青空文庫