・・・店さきのラムネの壜がからになって金を払わずに遍路が混雑にまぎれて去ったりする。人々は、いまじゃ弘法大師もさっぱり睨みがきかなくなったと云って罰のバチがあたることを殆んど信じなくなっている。・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・ やはり寝ながらじろりッと見て、「気のぬけたラムネのように異うすますナ、出て行った用はどうしたんだ。「アイ忘れたよ。「ふざけやがるなこの婆。「邪見な口のききようだねえ、阿魔だのコン畜生だの婆だのと、れっきとした内室をつか・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・私は、浪のしぶきをじっと見つめて居ると、きっとラムネが飲みたくなります。富士山を見て居ると、きっと羊羹をたべたくなります。心にもない、こんなおどけを言わなければならないほど、私には苦しいことがございます。私も、もう二十六でございます。もう、・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ スワが十三の時、父親は滝壺のわきに丸太とよしずで小さい茶店をこしらえた。ラムネと塩せんべいと水無飴とそのほか二三種の駄菓子をそこへ並べた。 夏近くなって山へ遊びに来る人がぼつぼつ見え初めるじぶんになると、父親は毎朝その品物を手籠へ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・寒雀と言って、この大寒の雀は、津軽の童児の人気者で、罠やら何やらさまざまの仕掛けをしてこの人気者をひっとらえては、塩焼きにして骨ごとたべるのである。ラムネの玉くらいの小さい頭も全部ばりばり噛みくだいてたべるのである。頭の中の味噌はまた素敵に・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・ 自分もその海水浴のときに「玉ラムネ」という生れて始めてのものを飲んで新しい感覚の世界を経験したのはよかったが、井戸端の水甕に冷やしてあるラムネを取りに行って宵闇の板流しに足をすべらし泥溝に片脚を踏込んだという恥曝しの記憶がある。 ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・そこらの氷店へはいって休んだ時には、森の中にあふるる人影がちらついて、赤い灯や青い旗を吹く風も涼しく、妹婿がいつもの地味な浴衣をくつろげ姪にからかいながらラムネの玉を抜いていた姿がありあり浮ぶ。あの時の氷店の跡などももうたしかに其処とも分ら・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・ヴィクトリアパークの前のレストランでラムネを飲んでいたら、給仕の土人が貝多羅の葉で作った大きな団扇でそばからあおいだ。馬丁にも一杯飲ませてやったら、亭前の花園の黄色い花を一輪ずつとってくれた。N氏がそれを襟のボタン穴にさしたからT氏と自分も・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・しかし六時の急行に乗る積りなれば落付いて眠る間もなかるべしと漱石師などへ用もなき端書したゝむ。ラムネを取りにやりたれど夜中にて無し、氷も梨も同様なりとの事なり。退屈さの茶を啜れば胸ふくれて心地よからず。とかくするうち東の空白み渡りて茜の一抹・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・丸アミの中心にイワシの頭をくくりつけ、ラムネのびんをオモリにして沈めておけば、カニはその中に入って来る。このごろ、子供たちがよくカニとりに行き、何十匹もとって来てオカズ代りになることが多い。しかし、これはほとんど技術が入らず、釣りのうちに入・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
出典:青空文庫