・・・ 三文文学とか「チープ・リテレチュア」とかいう言葉は今でも折々繰返されてるが、斯ういう軽侮語を口にするものは、今の文学を研究して而して後鑑賞するに足らざるが故に軽侮するのではなくて、多くは伝来の習俗に俘われて小説戯曲其物を頭から軽く見て・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・「日本三文オペラ」や「市井事」や「銀座八丁」の逞しい描写を喜ぶ読者は、「弥生さん」には失望したであろう。私もそのような意味では失望した。しかし、読者の度胆を抜くような、そして抜く手も見せぬような巧みに凝られた書出しよりも、何の変哲もない、一・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・よりも「日本三文オペラ」や「市井事」などがいいと言っておられたように記憶している。これらの作品は武田さんの二十代か三十二三の頃のものであった。近頃の三十歳前後の作家は何をボヤボヤしているかと言いたいくらい、これらの作品は優れている。が、武田・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・ 本当らしく、空想で、でっち上げたところで、そんなものには三文の値打ちも有りゃしない。 で、以下は、労働祭のことではない。五月一日に農村であったことである。 香川県は、全国で最も弾圧のひどい土地だ。第一回の普選に大山さんが立・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・若槻が何だとか、田中は陸軍大将で、おおかた元帥になろうとしていたところをやめて政治家になったとか、自分たちにとっては、実に、富士山よりも高く雲の上の上にそびえていて、浜口がどうしようが、こうしようが、三文の損得にもならないことを、熱心に喋っ・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・いくらぞと問えば三文と答う。三毛かと問えばはいと云い、三厘かといえばまたはいと云う。なおくどく問えば怫然として、面ふくらかして去る。しばらくして石の巻に着す。それより運河に添うて野蒜に向いぬ。足はまた腫れ上りて、ひとあしごとに剣をふむごとし・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・路行く人や農夫や行商や、野菜の荷を東京へ出した帰りの空車を挽いた男なんどのちょっと休む家で、いわゆる三文菓子が少しに、余り渋くもない茶よりほか何を提供するのでもないが、重宝になっている家なのだ。自分も釣の往復りに立寄って顔馴染になっていたの・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ 五「三文オペラ」を見た。文明のどん底、東ロンドンの娼家の戸口から、意気でデスペラドのマッキー・メッサーが出てくる。その家の窓からおかみが置き忘れたステッキを突きだすのを、取ろうとすると、スルスルと仕込みの白・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・は創作であり、そこらの三文小説は小説ではないことは事新しく言うまでもないことである。 こういうふうに考えて来るといわゆる「創作」と随筆との区別は、他の多くの「分類」の場合と同じく、漸移的不決定的なものである。ただ便宜上、いわゆる小説家戯・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・西洋でも映画「三文オペラ」の親方マッキ・メッサーがやはり仕込み杖を持っているのである。 とにかく、他に実務的な携帯品があったのでは、せっかくのステッキもただのじじむさい杖になってしまう。よごれた折り鞄などを片手にぶらさげてはいけないので・・・ 寺田寅彦 「ステッキ」
出典:青空文庫