・・・ スースーとちょっとずつ区切りをつけながら、蜘蛛が糸を下げるように、だんだんと真暗な底の知らないところへ体が落ちて行くように感じながら、どうしても自分で頭を擡げることの出来ないでいた禰宜様宮田は、このときハッと思うと同時に、急に自分の体・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 人に頭を下げるのがきらいなのじゃ。これまでわしはそれを致さいでも事がすんで居ったほど賢うてあったのじゃからの。前よりも粉雪の音ははげしく炉の火はすっかり絶える。王は前よりも早くいらいらした調子に部屋を歩いて無意識にまどによ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・ これも貰いもののハンティングのつばを、一寸ひき下げるようにして、重吉は無言のまま大股に竹垣の角をまわって見えなくなって行った。ひろ子は、暫くそこに佇んだまま、むかごの葉がゆれている竹垣の角を眺めていた。重吉は、口をきかずに出て行った。・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・マントをかけて置いて、蛇の目を深くさして白足袋をはいて『御免下さいませ』ってやったところが、先生の奥さんが出て来て『いらっしゃいまし、どなたさまで』っておじぎをなすったんで傘をもったまんまポッカリ頭を下げると、先生が出て来られて『マア上り給・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・父は自分から興にのってそれを云ったのだけれど、当の若い客の方は、いかにも長上に対する儀礼的な身のこなしで片足を引きつけるようにして、無言のまま軽く優雅に頭を下げることでその冗談に答えた。 些細な場面であるが、ふだんそういう情景から離れて・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・彼は小猫を下げるように百合の花束をさげたまま、うろうろ廊下を廻って空虚の看護婦部屋を覗いてみた。壁に挾まれた柩のような部屋の中にはしどけた帯や野蛮なかもじが蒸された空気の中に転げていた。まもなくここで、疲れた身体を横たえるであろう看護婦たち・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・黙って運命に頭を下げる事ができるだろうか。―― 私はこうして自分を押しつめてみた。そうして自分にまるで死ぬつもりのないことを発見した。「今死んではたまらない。しかしたぶん自分は永生きするだろう。」こういう思いが私から死に対する痛切な感じ・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・人形使いはたとえば右肩をわずかに下げる運動によって肢体全体に女らしい柔軟さを与えることができる。逆に言えば肢体全体の動きが肩に集中しているのである。ところでこのように肩の動きによって表情するということも「能」の動作が全然切り捨て去ったところ・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫