・・・ただ哀れな母親が、この寒い夜にひとり起きて、牛乳を温めているのを不憫に思っていました。 それから、しばらく、星たちは沈黙をしていました。が、たちまち、一つの星が、「まだ、ほかに、働いているものはないか?」とききました。 その星は・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・さすがの父も里子の私を不憫に思ったのでしょう。しかし、その時いた八尾の田舎まで迎えに来てくれたのは、父でなく、三味線引きのおきみ婆さんだった。 高津神社の裏門をくぐると、すぐ梅ノ木橋という橋があります。といっても子供の足で二足か三足、大・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・何でも斯ういう際は多少の不便を忍んでもすぱりと越して了うんですな。第一処が変れば周囲の空気からして変るというもんで、自然人間の思想も健全になるというような訳で……」斯う云ったようなことを一時間余りもそれからそれと並べ立てられて、彼はすっかり・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・その時私は、鏡を見せるのはあまりに不愍と思いましたので、鏡は見ぬ方がよかろうと言いますと、平常ならば「左様ですか」と引っ込んで居る人ではなかったのですが、この時は妙に温しく「止しときましょうか」といって、素直にそれを思いとどめました。 ・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 行一も水道や瓦斯のない不便さに身重の妻を痛ましく思っていた矢先で、市内に家を捜し始めた。「大家さんが交番へ行ってくださったら、俺の管轄内に事故のあったことがないって。いつでもそんなことを言って、巡回しないらしいのよ」 大家の主・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・雨のそぼ降る日など、淋しき家に幸助一人をのこしおくは不憫なりとて、客とともに舟に乗せゆけば、人々哀れがりぬ。されば小供への土産にと城下にて買いし菓子の袋開きてこの孤児に分つ母親もすくなからざりし。父は見知らぬ風にて礼もいわぬが常なり、これも・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 男女交際と素人、玄人 日本では青年男女の交際の機会が非常に限られていることは不便なことだ。そのためにレディとの交際が出来難く、触れ合う女性は喫茶ガールや、ダンサーや、すべて水稼業に近い雰囲気のものになるというこ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・慣れてみれば、よくそれでも不便とも思わずに暮らして来たようなものだ。離れて行こうとするに惜しいほどの周囲でもなかった。 実に些細なことから、私は今の家を住み憂く思うようになったのであるが、その底には、何かしら自分でも動かずにいられない心・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・いやいや、ひょっとしたら女房への不憫さの涙であったかも知れないね。とにかくこれでわかった。あれはそんな女だ。いつでも冷たく忍従して、そのくせ、やるとなったら、世間を顧慮せずやりのける。ああ、おれはそれを頼もしい性格と思ったことさえある! 芋・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・男は立って代わってやりたいとは思わぬではないが、そうするとその白い腕が見られぬばかりではなく、上から見おろすのは、いかにも不便なので、そのまま席を立とうともしなかった。 こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜら・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫