わたしはすっかり疲れていた。肩や頸の凝るのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・もしもその際に、近代人の資格は神経の鋭敏という事であると速了して、あたかも入学試験の及第者が喜び勇んで及第者の群に投ずるような気持で、その不健全を恃み、かつ誇り、更に、その不健全な状態を昂進すべき色々の手段を採って得意になるとしたら、どうで・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・よび自己の生活を厳粛なる理性の判断から回避している卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にしてわずかに慰めている臆病者、暇ある時に玩具を弄ぶような心をもって詩を書きかつ読むいわゆる愛詩家、および自己の神経組織の不健全なことを心に誇る偽患者、ないしはそ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・文学界の先ず受けた非難は、不健全という事であった。それに対しても吾々若いものは皆激しい意気込を持っていたから、北村君などは「どうも世間の奴等は不健全で可かん」とあべこべに健全を以て任ずる人達を、罵るほどの意気で立っていた。北村君が最初の自殺・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・それにしてもおもしろいじゃないか、健全をもってみずからも任じ、人も許していたものが、今では不健全も不健全、デカダンの標本になったのは、これというのも本能をないがしろにしたからだ。君たちは僕が本能万能説を抱いているのをいつも攻撃するけれど、実・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・なんというオリジナリティのない不健全な出版界だろう。 階下の日本書や文房具の部は、たいていもうくたびれてしまって、見ないですます事が多い。それにこのほうは、むしろ神田あたりで別な日に見るほうがいいという気がするので、すぐに表の通りへ出て・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ 明治以来つい最近まで七十年余に、日本の文化は極めて不健全な実体をもって来た。世界の多くの国々をみれば、人口の過半を占める婦人たちは、遙か昔に、自分たちの生活する社会の運営に参加している。そして、その自然な経過として、先ず身近な地方自治・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・けれども、それのつかわれかたで、生活の文化の問題としては現実に不調和を来し、結果として不健全をもたらすことにもなる。 私たちの文化への感覚は、自分たちの生活に関して現実的に明晰な判断を持たなければなるまいと思う。音楽が好きとか分るとかい・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・という小説が、左翼運動への無理解や自己解剖を巧に作中人物の一人への誇張された描写にすりかえている等の欠点をもつ作品であるにかかわらず、一応興味をもたれたのも、当時のこのような空気とこの作者の示した不健全性こそが結びつき得たからによったのであ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・しかし、事業の困難さは、耐久力のない胤子を再び失望させたのみか、北海道へ来たことも、良人の生活態度にも、すべてに気をくさらし、同じ感化院の教務主任守屋と不健全な関係に陥る。作者は、この間の消息を精神的によりどころを失った胤子が生活気分のより・・・ 宮本百合子 「作品のテーマと人生のテーマ」
出典:青空文庫