・・・ 可哀想に此女は不幸の重荷でへしつぶされてしまったんだ。もう希望を持つことさえも怖しくなったんだろう。と私は思った。 世の中の総てを呪ってるんだ。皆で寄ってたかって彼女を今日の深淵に追い込んでしまったんだ。だから僕にも信頼しないんだ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・然るを婦人が不幸にして斯る悪疾に罹るの故を以て離縁とは何事ぞ。夫にして仮初にも人情あらば、離縁は扨置き厚く看護して、仮令い全快に至らざるも其軽快を祈るこそ人間の道なれ。若しも妻の不幸に反して夫が癩病に罹りたらば如何せん。妻は之を見棄てゝ颯々・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・これは多数の女のために極めて不幸な事でございます。そしてわたくしはその不幸を身に受けなくてはならぬ一人でございます。 誰やらの書いた本に、「幸福なる夫婦は極めて稀なり」と云う文句がございました。作者の名をつい忘れましたが、きっと田舎にい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・振返って己の生涯を見れば、走って道が捗らず、勇を振って戦いに勝たれず、不幸があっても悲しくないし、幸福があっても嬉しくないし、意味の無い問には意味の無い答が出て来る。暗の閾から朧気な夢が浮んで、幸福は風のように捕え難い。そこで草臥た高慢の中・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・部には相違ないけれども、宇宙に行われて居る因果の道理は単に倫理の上を支配するような簡単なるものではないので、一方には倫理上から或人に幸を与えるような因果の筋道になって居っても、また他の方からは同じ人に不幸を与えるような因果の筋道に成って居る・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・特務曹長「然るに私共は未だ不幸にしてその機会を得ず充分適格に閣下の勲章を拝見するの光栄を所有しなかったのであります。」大将「それはそうじゃ、今までは忙がしかったじゃからな。」特務曹長「閣下。この機会をもちまして私共一同にとくとお・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・ ふき子にきつく窘められた。不幸な嫁入り先から戻って来てそのような暮しをしている岡本から見ればふき子も陽子も仕合わせすぎて腹立たしい事もあろう。陽子は、世界が違う気楽な若者と暗闘する岡本の気持がわかるような気がした。 彼等は皆で海岸・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・一度妻を持って、不幸にして別れたが、平生何かの機会で衝突する度に、「あなたはわたしを茶かしてばかしいらっしゃる」と云うのが、その細君の非難の主なるものであった。 木村の心持には真剣も木刀もないのであるが、あらゆる為事に対する「遊び」の心・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ ――何故にわれわれは、不幸を不幸と感じなければならないのであろう。 ――何故にわれわれは、葬礼を婚礼と感じてはいけないのであろう。 彼はあまりに苦しみ過ぎた。彼はあまりに悪運を引き過ぎた。彼はあまりに悲しみ過ぎた、が故に、彼は・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・そうしてこの表情のために愛するものたちを不幸にします。こういう時に私は彼らをいたわってやることも、彼らを喜ばせる事も、彼らとともに喜ぶこともできないのです。私の心は石のように固まって、ただ温められ融かされる事を望むばかりです。私にとっては一・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫