・・・それから、私は何か不敬なことを言ったらしい。叔母は、そんなことを言うものでない、お隠れになったと言え、と私をたしなめた。どこへお隠れになったのだろう、と私は知っていながら、わざとそう尋ねて叔母を笑わせたのを思い出す。」 これは明治天皇崩・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・また曰うた、今之孝者是謂能養、至犬馬皆能有養、不敬何以別乎。体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。玉体ばかり大切する者が真の忠臣であろうか。もし玉体大事が第一の忠臣なら、侍医と大膳職と皇宮警手とが大忠臣でなくてはなら・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・しかし彼らの職業はもともと器械の代りをするのだから、本人共もそのつもりで、職業をしている内は人間の資格はないものと断念してやらなくては、普通の人間に対して不敬であります。現代の文学者をもって探偵に比するのははなはだ失礼でありますが、ただ真の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・倅の不敬乱暴無法は申すまでもなく、嫁の不埒も亦悪む可し。無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕す可きなれども、苟も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益なり、到底その意に任せて左右せしむ・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・それからまた不敬罪によって三年間未決にいたときに終戦となりました。その後、故郷の新潟県関山でもと陸軍の演習地であった四十町歩の土地の開墾をはじめ、製粉、製塩事業の関山農場をやっているのだそうです。四十町歩の陸軍演習地を海軍のなかでも、特別な・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・先代の御位牌に対して不敬なことをあえてした、上を恐れぬ所行として処置せられたのである。 弥五兵衛以下一同のものは寄り集まって評議した。権兵衛の所行は不埓には違いない。しかし亡父弥一右衛門はとにかく殉死者のうちに数えられている。その相続人・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫