・・・本庄は丹後国の者で、流浪していたのを三斎公の部屋附き本庄久右衛門が召使っていた。仲津で狼藉者を取り押さえて、五人扶持十五石の切米取りにせられた。本庄を名のったのもそのときからである。四月二十六日に切腹した。伊藤は奥納戸役を勤めた切米取りであ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 宮崎が舟は廻り廻って、丹後の由良の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構えて、田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫