・・・ 人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去るが好い。自殺も亦確かに一便法である。しかし人生・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・た時代には書画会以外に書家や画家が自ら世に紹介する道がなかったから、今日の百画会が無名の小画家の生活手段であると反して、当時の書画会は画を売るよりは名を売るを目的としてしばしば高名な書家や画家にすらも主催された。書画会を開かない画家文人は殆・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・昭和の大棋戦だと、主催者の読売新聞も宣伝した。ところが、坂田はこの対局で「阿呆な将棋をさして」負けたのである。角という大駒一枚落しても、大丈夫勝つ自信を持っていた坂田が、平手で二局とも惨敗したのである。 坂田の名文句として伝わる言葉に「・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 十三で小学校を卒業して、間もなく、東京日日新聞主催の音楽コンクールが東京で行われた。 寿子は大阪で行われた予選で第一位を占めた。庄之助は、旅費を工面すると、寿子を連れて上京した。 コンクールの課題はコレリー作の「ラフォリア」で・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・しかもそうした友人たちが主催となって、彼の成功した労作のために祝意を表そうというのだ。作者としては非常な名誉なわけだ。 午後、土井は袴羽織の出席の支度で、私の下宿へ寄った。私は昨晩から笹川のいわゆるしっぺ返しという苦い味で満腹して、ほと・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・さて、この暗黒の時に当り、毎月いちど、このご結構のサロンに集い、一人一題、世にも幸福の物語を囁き交わさむとの御趣旨、ちかごろ聞かぬ御卓見、私たのまれもせぬに御一同に代り、あらためて主催者側へお礼を申し、合せてこの会、以後休みなくひらかれます・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ もう一度はK社の主催でA派の歌人の歌集刊行記念会といったようなものを芝公園のレストーランで開いた時の事である。食卓で幹事の指名かなんかでテーブルスピーチがあった。正客の歌人の右翼にすわっていた芥川君が沈痛な顔をして立ち上がって、自分は・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ O氏の主催で工業クラブに開かれた茶の会で探険隊員に紹介されてはじめて自分のぼんやりした頭の頂上へソビエト国の科学的活動に関する第一印象の釘を打ち込まれたわけである。 隊長シュミット氏は一行中で最も偉大なる体躯の持ち主であって、こう・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・を主催した一人だというので検挙され、印刷工組合の組織に参加すると、もう有名になってしまって、雇ってくれるところがなくなっていた。仲間の小野は東京へ出奔したし、いま一人の津田は福岡のゴロ新聞社にころがりこんで、ちかごろは袴をはいて歩いていると・・・ 徳永直 「白い道」
・・・わたしは主人公とすべき或婦人が米国の大学を卒業して日本に帰った後、女流の文学者と交際し神田青年会館に開かれる或婦人雑誌主催の文芸講演会に臨み一場の演説をなす一段に至って、筆を擱いて歎息した。 初めわたしはさして苦しまずに、女主人公の老父・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫