・・・ 林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩の御礼として、登城しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、附合の諸大・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 椿岳の兄が伊藤の養子婿となったはどういう縁故であったか知らないが、伊藤の屋号をやはり伊勢屋といったので推すと、あるいは主家の伊勢長の一族であって、主人の肝煎で養子に行ったのかも知れない。 伊藤というはその頃京橋十人衆といわれた幕府・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・損得利害、明白なる場合に、何を渋らるるか、此の右膳には奇怪にまで存ぜらる。主家に対する忠義の心の、よもや薄い筈の木沢殿ではござるまいが。」と責むるが如くに云うと、左京の眼からも青い火が出たようだった。「若輩の分際として、過言にならぬ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 滅びた主家の家臣らが思い思いに離散して行く感傷的な終末に「荒城の月」の伴奏を入れたのは大衆向きで結構であるが、城郭や帆船のカットバックが少しくど過ぎてかえって効果をそぐ恐れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・卒業試験の前のある日、灯ともしごろ、復習にも飽きて離れの縁側へ出たら栗の花の香は慣れた身にもしむようであった。主家の前の植え込みの中に娘が白っぽい着物に赤い帯をしめてねこを抱いて立っていた。自分のほうを見ていつにない顔を赤くした・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ 要するに、従来のいわゆる統計物理学は物理学の一方の庇を借りた寄生物であったのであるが、今ではこの店子に主家を明け渡す時節が到来しつつあるのではないか。ほんとうの新統計的物理学はこれから始まるべきではないか。これはもちろん筆者のはなはだ・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・二氏のごときは正しくこの局に当る者にして、勝氏が和議を主張して幕府を解きたるは誠に手際よき智謀の功名なれども、これを解きて主家の廃滅したるその廃滅の因縁が、偶ま以て一旧臣の為めに富貴を得せしむるの方便となりたる姿にては、たといその富貴は自か・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・附近一帯の大地主である××では、石塀をめぐらした主家のまわりに、米やと花卉栽培とをやる家があって、赤いポストが米屋の前に立っている。そこでは、切手も売るのであった。札のかかっている横を入って菊畑へ行ってみたらば、そこの棚にのって飾られている・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・京都生れの武士であった近松は、当時崩れゆく武家の経済事情に押し流されて、いくつかの主家を転々した末は浪人して、歌舞伎の大成期であったその時代から辛苦の多い劇作家の生活に入った。芭蕉よりは十歳以上若い彼は、やはり同じ時代の芸術家らしい現実的、・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・そして殉死者の遺族が主家の優待を受けるということを考えて、それで己は家族を安穏な地位において、安んじて死ぬることが出来ると思った。それと同時に長十郎の顔は晴れ晴れした気色になった。 四月十七日の朝、長十郎は衣服を改めて母の前に出て、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫