・・・彼の講義には他の抽象学者に稀に見られる二つの要素、情調と愛嬌が籠っている、とこの著者は云っている。講義のあとで質問者が押しかけてきても、厭な顔をしないで楽しそうに教えているそうである。彼の聴講者は千二百人というレコード破りの多数に達した。彼・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 私たちはそこを出てから、さらに明石の方へ向かったが、そこは前の二つに比べて一番汚なかった。淡路へわたる船を捜したけれど、なかった。私たちは明石の町をそっちこっち歩いた。 人丸山で三人はしばらく憩うた。「あすこの御馳走が一番よう・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ところが不可ないことには私にその勇気がなかったので、もう二つの桶をあっちの石垣やこっちの塀かどにぶっつけながら逃げるので、うしろからは益々手をたたいてわらう声がきこえてくる……。 そんな風だから、学校へいってもひとりでこっそりと運動場の・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ 道の片側は土地が高くなっていて、石段をひかえた寂しい寺や荒れ果てた神社があるが、数町にして道は二つに分れ、その一筋は岡の方へと昇るやや急な坂になり、他の一筋は低く水田の間を向に見える岡の方へと延長している。 この道の分れぎわに榎の・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・昨日の雨を蓑着て剪りし人の情けを床に眺むる莟は一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――すこぶる雅だ。「蓮の葉に蜘蛛下りけり香を焚く」と吟じながら女一度に数弁を攫んで香炉の裏になげ込む。・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・スピノザの如くそれ自身によって理解せられるといっても、既に理と事とが二つになる、本質と存在とが対立する。単にそれ自身によって理解せられるものは属性である、実体ではない。無限なる属性の基体としての神は、コンポッシブルの世界の主体、事の世界の主・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・そこでニイチェを理解するためには、読者に二つの両立した資格が要求される。「詩人」であつて、同時に「哲学者」であることである。純粋の理論家には、もちろんニイチェは解らない。だが日本で普通に言はれてるやうな範疇の詩人にも、また勿論ニイチェは理解・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 私の眼は据えつけられた二つのプロジェクターのように、その死体に投げつけられて、動かなかった。それは死体と云った方が相応しいのだ。 私は白状する。実に苦しいことだが白状する。――若しこの横われるものが、全裸の女でなくて全裸の男だった・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・それはつい、泣饒舌をして居た方から、二つ先の窓の処でした。そして、窓の中から見下して居た若い兵士の、黒い黒い顔の、それでも優しいそうな其眼に、一杯涙が見えて居ました。『……鶴さん、些っとも未練残さねえで、えれえ働きをしてね、人に笑われね・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・古い車台を天井にして、大きい導管二つを左右の壁にした穴である。 雪を振り落してから、一本腕はぼろぼろになった上着と、だぶだぶして体に合わない胴着との控鈕をはずした。その下には襦袢の代りに、よごれたトリコオのジャケツを着込んでいる。控鈕を・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
出典:青空文庫