・・・あとに残った和田達は、無言でお互に顔を見合わしていた。 江原達はそのまま帰ってこなかった。 翌日未明に、軍隊は北進命令を受けた。 二十六時間の激戦や進軍の後、和田達は、チチハルにまで進んだ。煮え湯をあびせられた蟻のように支那兵は・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・そんな工合で互に励み合うので、ナマケル奴は勝手にナマケて居るのでいつまでも上達せぬ代り、勉強するものはズンズン上達して、公平に評すれば畸形的に発達すると云っても宜いが、兎に角に発達して行く速度は中々に早いものであったのです。 併し自修ば・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 俺だちはお互に起床のときと、就寝のときと、飛行機が来たときと、元気なときと、クシャンとしたときと、そして「われ/\の旗日」のときに壁を打ち合った。――ブルジョワ階級が色んな「旗日」を持っているのと同様に、もはや今では日本のプロレタリア・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ 夫婦は互に子供のことを心配して話した。 血気壮んなものには静止していられないような陽気だった。高瀬はしばらく士族地への訪問も怠っていた。しかしその日は塾の同僚を訪うよりも、足の向くままに、好きな田圃道を歩き廻ろうとした。午後に、彼・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ それらの学徒は、お互に、いつも固く団結して、いろいろの学問を修めていました。特に数学と音楽とを一ばん大切なものとして研究しました。 その学徒の一人のピシアスという人が、シラキュースに来ておりましたが、それがいつもディオニシアスに反・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・そして小さい葉に風を受けて、互に囁き合っている。』 第三 女学生は一こと言ってみたかった。「私はあの人を愛していない。あなたはほんとに愛しているの。」それだけ言ってみたかった。腹がたってたまらなかった。ゆうべ学校から疲・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・でない処には、蚕豆、さや豌豆、午蒡の樹になったものに、丸い棘のある実が生って居るのを、前に歩いて行った友に、人知れず採って打付けて遣ったり何かすると、友は振返って、それと知って、負けぬ気になって、暫く互に打付けこをするのも一興である。路はや・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・井伊と吉田、五十年前には互に倶不戴天の仇敵で、安政の大獄に井伊が吉田の首を斬れば、桜田の雪を紅に染めて、井伊が浪士に殺される。斬りつ斬られつした両人も、死は一切の恩怨を消してしまって谷一重のさし向い、安らかに眠っている。今日の我らが人情の眼・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・要するに現代の生活においては凡ての固有純粋なるものは、東西の差別なく、互に噛み合い壊し合いしているのである。異人種間の混血児は特別なる注意の下に養育されない限り、その性情は概して両人種の欠点のみを遺伝するものだというが、日本現代の生活は正し・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間一言も交えなかったのであります」という。天上に在って音響を厭いたる彼は地下・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫