・・・「悠々たる人生だ」 こうした嘆声がいつとなく私の口に上るのであった。 戦場でのすさまじい砲声、修羅の巷、残忍な死骸、そういうものを見てきた私には、ことにそうした静かな自然の景色がしみじみと染み通った。その対照が私に非常に深く人生・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・後年の彼の仕事や、社会人生観には、この事実と思い合せて初めて了解される点が少なくないように思う。それはとにかく彼がミュンヘンの小学で受けたローマカトリックの教義と家庭におけるユダヤ教の教義との相対的な矛盾――因襲的な独断と独断の背馳が彼の幼・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・古人はいうた、いかなる真理にも停滞するな、停滞すれば墓となると。人生は解脱の連続である。いかに愛着するところのものでも脱ぎ棄てねばならぬ時がある、それは形式残って生命去った時である。「死にし者は死にし者に葬らせ」墓は常に後にしなければならぬ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・梨花淡白柳深青 〔梨花は淡白にして柳は深青柳絮飛時花満城 柳絮の飛ぶ時 花 城に満つ惆悵東欄一樹雪 惆悵す 東欄一樹の雪人生看得幾清明 人生 看るを得るは幾清明ぞ〕 何如璋は明治の儒者文人の間には重・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして舶載した品物である。吾人がこの輪廓の中味を充じゅうじんするために生きているのでない事は明かである。吾人の活力発展の内容が・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・当時の選科生というものは惨じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒えてからすぐ田舎の中学校に行った。それから暫く山口の高等学校にいたが、遂に四高の独語教師となって十年の歳月を過した。金沢にいた十年間は私の心身・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔から全く哲学する精神を欠乏して居る。そして此処に詩人と言ふのは、小説家等の文学者一般をも包括して言ふのである。 ニイチェは詩人である。何より・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 幼い時から、あらゆる人生の惨苦と戦って来た一人の女性が、労働力の最後の残渣まで売り尽して、愈々最後に売るべからざる貞操まで売って食いつないで来たのだろう。 彼女は、人を生かすために、人を殺さねば出来ない六神丸のように、又一人も残ら・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・別離ということについて、吉里が深く人生の無常を感じた今、善吉の口からその言葉の繰り返されたのは、妙に胸を刺されるような心持がした。 吉里は善吉の盃を受け、しばらく考えていたが、やがて快く飲み乾し、「善さん、御返杯ですよ」と、善吉へ猪口を・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・既に温良恭謙柔和忍辱の教に瞑眩すれば、一切万事控目になりて人生活動の機を失い、言う可きを言わず、為す可きを為さず、聴く可きを聴かず、知る可きを知らずして、遂に男子の為めに侮辱せられ玩弄せらるゝの害毒に陥ることなきを期す可らず。故に此一章の文・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫