・・・人生には今や霞がかかり、その奥にあるらしい美と善との世界を、さらに魅力的にしたようである。若き春! 地上には花さえ美しいのにさらに娘というものがある。彼女たちは一体何ものだ。自然から美しく創りなされて、自分たちを誘うような、少なくとも待・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・「おい、俺れゃ、今やっと分った。」と吉原が云った。「戦争をやっとるのは俺等だよ。」「俺等に無理にやらせる奴があるんだ。」 誰かが云った。「でも戦争をやっとる人は俺等だ。俺等がやめりゃ、やまるんだ。」 流れがせかれたように・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・或場処は路が対岸に移るようになっているために、危い略※に片手をかけて今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかといって人を呼んでいる。その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火を段と近づけた。遠いところから段と歩み近づ・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・嫌悪し忘弔すべきでない、若し死に嫌忌し哀弔すべき者ありとせば、其は多くの不慮の死、覚悟なき死、安心なき死、諸種の妄執・愛着を断ち得ざるよりする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦を伴う死である、今や私は幸いに此等の条件以外の死を遂ぐべ・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・火の目小僧は、さっそくのび上って見ますと、兵たいが今やっと、さっきの林をくぐりぬけて、またどんどん砂けむりを立ててかけつけて来るのが見えました。王子は、「では、ぐずぐずしてはいられない。さあにげよう。」と言って立ち上りました。すると王女・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・余初めて書を刊して、またいささか戒むるところあり。今や迂拙の文を録し、恬然として愧ずることなし。警戒近きにあり。請う君これを識れと。君笑って諾す。すなわちその顛末を書し、もって巻端に弁ず。 明治十九年十二月田口卯吉 識・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・名をゼロニモ・ルジエラと云いて、西班牙の産なるが、今や此世に望を絶ちて自ら縊れなんとす。 いかがです。この裂帛の気魄は如何。いかさまクライストは大天才ですね。その第一行から、すでに天にもとどく作者の太い火柱の情熱が、私たち凡俗のものにも・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・鳶の羽も刷いぬはつしぐれ 一ふき風の木の葉しずまる股引の朝からぬるる川こえて たぬきをおどす篠張の弓のような各場面から始まってうき人を枳殻籬よりくぐらせん 今や別れの刀さし出すせわしげに櫛で頭・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 道太は何をするともなしに、うかうかと日を送っていたが、お絹とおひろの性格の相違や、時代の懸隔や、今は一つ家にいても、やがてめいめい分裂しなければならない運命にあることも、お絹が今やちょうど生涯の岐路に立っているような事情も、ほぼ呑みこ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・彼らは今や堪えかねて鼠は虎に変じた。彼らの或者はもはや最後の手段に訴える外はないと覚悟して、幽霊のような企がふらふらと浮いて来た。短気はわるかった。ヤケがいけなかった。今一足の辛抱が足らなかった。しかし誰が彼らをヤケにならしめたか。法律の眼・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫