・・・眼に見えるようなは其而已でなく、其時ふッと気が付くと、森の殆ど出端の蓊鬱と生茂った山査子の中に、居るわい、敵が。大きな食肥た奴であった。俺は痩の虚弱ではあるけれど、やッと云って躍蒐る、バチッという音がして、何か斯う大きなもの、トサ其時は思わ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・そのたびに勝子は火の付くように泣声を高くする。「もう知らん、放っといてやる」しまいに姉は掌を振り離してしまった。「今はしようないで、××膏をつけてくくっとこうよ」義母が取りなすように言っている。信子が薬を出しに行った。峻は勝子の泣声・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・その事は無論時田も江藤も知っていたので、江藤もよく考えたら森の奥のガサガサする音は必ずそれと気の付くはずなんだ。『それはそうとして君、それから僕は内心すこぶる慙かしく思ったから、今度は大いに熱心になって画きだしたが、ほぼできたから巻煙草・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・一体なんだってどの女もどの女もあの人にでれ付くのだろう。なんでもあの人があの役所に勤めているもんだから、芝居へ買われる時に、あの人に贔屓をして貰おうと思うのらしいわ。事によったらお前さんなんぞも留守に来て、ちょっかいを出したかも知れないわ。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・若しその皮の上に一寸した染が出来るとか、一寸した創が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを癒やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷けられたと存じました時、その為に、長煩いで腐って行くように死なずに、・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・顔面に対してかなり大きな角度をして突き出た三角形の大きな鼻が眼に付く。 アインシュタインは「芸術から受けるような精神的幸福は他の方面からはとても得られないものだ」と人に話したそうである。ともかくも彼は芸術を馬鹿にしない種類の科学者である・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 先ず一番に気の付くのは赤や青や紫や美しい色彩を帯びた斑点である。大きいのでせいぜい二、三分四方、小さいのは虫眼鏡ででも見なければならないような色紙の片が漉き込まれているのである。それがただ一様な色紙ではなくて、よく見るとその上には色々・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・快楽とか苦痛とか名の付くようなものでなく、何んだか分らぬ目的物を遠い霞の奥に望んで、それをつかまえよう/\としていた。小説を読んだり白馬会を見に行ったりまた音楽会を聞きに行ったりしているうちには求めている物に近づいたような気がする事もあった・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・あるいは花火のようなものに真綿の網のようなものを丸めて打ち上げ、それが空中でぱっと烏瓜の花のように開いてふわりと敵機を包みながらプロペラにしっかりとからみ付くというような工夫は出来ないかとも考えてみる。蜘蛛のあんなに細い弱い糸の網で大きな蝉・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・口が乾いて舌が上顎に貼り付く。少し眠りたいと思うて寝返りをすると、額の氷袋の氷がカチカチと鳴って袋は額をはなれる。まだ傍で針を使うていた妻はそれを当てなおしながら気分を問う。一片の旨い氷を口に入れてもらう。 もう何事も考えまいと思ったが・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
出典:青空文庫