・・・れありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く、去年までは父上父上と申し上げ候を貞夫でき候て後われら夫妻がいつとなく祖父様とお呼び申すよう相成り候以来、父上ご自身も急に祖父様らしくなられ・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・ 二 倫理学の入門 倫理学の祖といわれるソクラテス以来最近のシェーラーやハルトマンらの現象学派の倫理学にいたるまで、人間の内面生活ならびに社会生活の一切の道徳的に重要な諸問題が、それを一貫する原理の探究を目ざしてとり・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・彼等は、あの老人を絶滅して以来、もう、偽せ札を造り出す者がなくなってしまったと思っていた。殊に、絶滅の仕方が惨酷であったゞけ、その効果が多いような感じがした。 彼等は、自分の姓名が書かれてある下へ印を捺して、五円と、いくらか半ぱの金を受・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットという処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服致しましょうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ こう見てくれば、死刑は、もとより時の法度にてらして課されたものが多くをしめているのは、論のないところだが、なんびとかよく世界万国有史以来の厳密な統計をもとにして、死刑はつねに恥辱・罪悪にともなうものだと断言しうるであろうか。いな、死刑・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 龍介はこの事以来自分に疲れてきた。すべて自信がもてない。ものをハッキリ決めれない、なぜか、そうきめるとそれが変になってしまうように思われた。 ……龍介は今暗がりへ身を寄せたとき、犬より劣っている自分を意識した。 三・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・受けたまま返辞なければ往復端書も駄目のことと同伴の男はもどかしがりさてこの土地の奇麗のと言えば、あるある島田には間があれど小春は尤物介添えは大吉婆呼びにやれと命ずるをまだ来ぬ先から俊雄は卒業証書授与式以来の胸躍らせもしも伽羅の香の間から扇を・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ちょうど町では米騒動以来の不思議な沈黙がしばらくあたりを支配したあとであった。市内電車従業員の罷業のうわさも伝わって来るころだ。植木坂の上を通る電車もまれだった。たまに通る電車は町の空に悲壮な音を立てて、窪い谷の下にあるような私の家の四畳半・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ それ以来小母さんたちがちょっとでも藤さんの事を言いだすと、自分はたちまち二日の記憶を抱いて遁げて行くのであった。どんな場合でもすぐ遁げる。どうしても遁げられない時には、一生懸命にほかのことを心の中で考え続けて、話は少しも耳へ入れぬよう・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 私はそのとき以来、兄たちが夏休み毎に東京から持って来るさまざまの文学雑誌の中から、井伏さんの作品を捜し出して、読み、その度毎に、実に、快哉を叫んだ。 やがて、井伏さんの最初の短篇集「夜ふけと梅の花」が新潮社から出版せられて、私はそ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫