・・・ そういう発端で明日矢部と会見するに当たっての監督としての位置と仕事とを父は注意し始めた。それは懇ろというよりもしちくどいほど長かった。監督はまた半時間ぐらい、黙ったまま父の言いつけを聞かねばならなかった。 監督が丁寧に一礼して部屋・・・ 有島武郎 「親子」
・・・帳場は二度の会見でこの野蛮人をどう取扱わねばならぬかを飲み込んだと思った。面と向って埒のあく奴ではない。うっかり女房にでも愛想を見せれば大事になる。「まあ辛抱してやるがいい。ここの親方は函館の金持ちで物の解った人だかんな」 そういっ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・が、だんだん僕の私行があらわれて来るに従って、吉弥の両親と会見した、僕の妻が身受けの手伝いにやって来たなど、あることないことを、狭い土地だから、じきに言いふらした。 それに、吉弥が馬鹿だから、のろけ半分に出たことでもあろう、女優になって・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 新井白石は、シロオテとの会見を心待ちにしていた。白石は言葉について心配をした。とりわけ、地名や人名または切支丹の教法上の術語などには、きっとなやまされるであろうと考えた。白石は、江戸小日向にある切支丹屋敷から蛮語に関する文献を取り・・・ 太宰治 「地球図」
・・・そんなら何も私なんかと逢ってくれなくてもよさそうなものだが、この町の知識人としての一応の仁義と心得ているのか、わざわざ私に会見を申込む。 ついせんだっても、この町の病院に勤めている一医師から電話が掛って来て、今晩粗飯を呈したいから遊びに・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・ それほど無政府主義が恐いなら、事のいまだ大ならぬ内に、下僚ではいけぬ、総理大臣なり内務大臣なり自ら幸徳と会見して、膝詰の懇談すればいいではないか。しかし当局者はそのような不識庵流をやるにはあまりに武田式家康式で、かつあまりに高慢である。得・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・せんためなり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷える余に向っ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・けれどもどっちかにきめて、これを根本調として会見しなければならないということに気がついた。自分は食後の茶を飲んで楊枝を使いながら、ここへ重吉が来たらどう取り扱ったものだろうと考えた。七 そこへ宿から迎えにやった車に乗って、彼・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・ こういう悲惨で滑稽な現象のチャンピオンとして、某婦人雑誌が、トルーマン当選の公表された翌日の新聞に、「デューイ夫妻会見記」という特別記事入りの十二月号の広告を出した。ここにも奇蹟的という文字がつかってあった。この雑誌の特派記者が、アメ・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・いろいろの変調が加えられて、たとえば用紙割当委員会の権限が、ずるずると内閣に属す委員会に移され、文化材の合理的割当を口実に、官僚統制、赤本屋委員会に堕してしまうころから、吉田茂の明るい展望が記者団との会見で語られるようになった。 更に、・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
出典:青空文庫