・・・ 洋一は唐物屋の前まで来ると、飾り窓を後に佇みながら、大通りを通る人や車に、苛立たしい視線を配り始めた。が、しばらくそうしていても、この問屋ばかり並んだ横町には、人力車一台曲らなかった。たまに自動車が来たと思えば、それは空車の札を出した・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・現にその光を浴びた房子は、独り窓の側に佇みながら、眼の下の松林を眺めている。 夫は今夜も帰って来ない。召使いたちはすでに寝静まった。窓の外に見える庭の月夜も、ひっそりと風を落している。その中に鈍い物音が、間遠に低く聞えるのは、今でも海が・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡・・・ 芥川竜之介 「蜘蛛の糸」
・・・陸軍大将の川島は回向院の濡れ仏の石壇の前に佇みながら、味かたの軍隊を検閲した。もっとも軍隊とは云うものの、味かたは保吉とも四人しかいない。それも金釦の制服を着た保吉一人を例外に、あとはことごとく紺飛白や目くら縞の筒袖を着ているのである。・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 女房は縁先に佇みながら、松の上の権助を見上げました。権助の着た紋附の羽織は、もうその大きな庭の松でも、一番高い梢にひらめいています。「今度は右の手を御放し。」 権助は左手にしっかりと、松の太枝をおさえながら、そろそろ右の手を放・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・ M子さんは襖をあけたまま、僕の部屋の縁先に佇みました。「この部屋はお暑うございますわね。」 逆光線になったM子さんの姿は耳だけ真紅に透いて見えます。僕は何か義務に近いものを感じ、M子さんの隣に立つことにしました。「あなたの・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・ その後十日余りたってから、良平は又たった一人、午過ぎの工事場に佇みながら、トロッコの来るのを眺めていた。すると土を積んだトロッコの外に、枕木を積んだトロッコが一輛、これは本線になる筈の、太い線路を登って来た。このトロッコを押しているの・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・僕は丁度戸の前に佇み、誰もいない部屋の中を眺めまわした。すると向うの窓硝子は斑らに外気に曇った上に小さい風景を現していた。それは黄ばんだ松林の向うに海のある風景に違いなかった。僕は怯ず怯ず窓の前へ近づき、この風景を造っているものは実は庭の枯・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・するとそこには依然として、我毛利先生が、まるで日の光を貪っている冬蠅か何かのように、じっと石段の上に佇みながら、一年生の無邪気な遊戯を、余念もなく独り見守っている。その山高帽子とその紫の襟飾と――自分は当時、むしろ、哂うべき対象として、一瞥・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・この夕もまた美人をその家まで送り届けし後、杉の根の外に佇みて、例の如く鼻に杖をつきて休らいたり。 時に一縷の暗香ありて、垣の内より洩れけるにぞ法師は鼻を蠢めかして、密に裡を差覗けば、美人は行水を使いしやらむ、浴衣涼しく引絡い、人目のあら・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
出典:青空文庫