・・・ 庄之助はまるで自分の耳を疑うかのように、キョトンとして、暫く娘の蒼白い顔を見つめながら何やらボソボソ口の中で呟いていたが、やがて何思ったか、「寿子、生国魂さんへお詣りしよう」 と言った。「パパ、ほんまか」 寿子はあわて・・・ 織田作之助 「道なき道」
忘れもせぬ、其時味方は森の中を走るのであった。シュッシュッという弾丸の中を落来る小枝をかなぐりかなぐり、山査子の株を縫うように進むのであったが、弾丸は段々烈しくなって、森の前方に何やら赤いものが隠現見える。第一中隊のシード・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「わたしが帰って行ったらお祖母さんと三人で門で待ってはるの」姉がそんなことを言った。「何やら家にいてられなんだわさ。着物を着かえてお母ちゃんを待っとろと言うたりしてなあ」「お祖母さんがぼけはったのはあれからでしたな」姉は声を少し・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・先生何が何やら解らなくなって了った。其所で疳は益々起る、自暴にはなる、酒量は急に増す、気は益々狂う、真に言うも気の毒な浅ましい有様となられたのである、と拙者は信ずる。 現に拙者が貴所の希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子嬢を罵る大・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 少尉が兵士達の注意を右の方へ向けようとして、何やら真剣に叫んで、抜き身の軍刀を振り上げながら、永井の傍を馳せぬけた。しかし、それが何故であるか、永井には分らなかった。彼の頭の中には娘の豊満な肉体を享楽するただそのことがあるばかりだった・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・源吉は身体をふるわしていたが、ハッとして立ちすくんでしまった。瞬間シーンとなった。誰の息づかいも聞えない。 土佐犬はウオッと叫ぶと飛びあがった。源吉は何やら叫ぶと手を振った。盲目が前に手を出してまさぐるような恰好をした。犬は一と飛びに源・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・ 食後に、お玉は退院の手続きやら何やらでいそがしかった。にわかにおげんの部屋も活気づいた。若い気軽な看護婦達はおげんが退院の手伝いするために、長い廊下を往ったり来たりした。「小山さん、いよいよ御退院でお目出とうございます」 と年・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 藤さんが行ってしまったあとは何やら物足りないようである。たんぽぽを机の上に置く。手紙はもう書きたくない。藤さんがもう一度やってこないかと思う。ちぎった書き崩しを拾って、くちゃくちゃに揉んだのを披げて、皺を延ばして畳んで、また披げて、今・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。それは本箱の右の引き出しに隠して在る。逝去二年後に発表のこと、と書き認められた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・という小説が、二三の人にほめられて、私は自信の無いままに今まで何やら下手な小説を書き続けなければならない運命に立ち至りました。三島は、私にとって忘れてならない土地でした。私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
出典:青空文庫