・・・大演説なぞと、いきり立ち、天地もゆらぐ程の空想に、ひとりで胸を轟かせ、はっと醒めては自身の虫けらを知り、頸をちぢめて消えも入りたく思うのだが、またむくむくと、せめて袴くらいは、と思う。俗世のみれんを捨て切れないのである。どうせ出るなら、袴を・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・そうして、俗世に於て、「あれはいいひとだ、潔癖な立派なひとである」などと言われることに成功している。殆んど、悪人である。 君たちの得たものは、世間的信頼だけである。志賀直哉を愛読しています、と言えばそれは、おとなしく、よい趣味人の証拠と・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・それでいてほとんど俗世の何事も知らないような飄逸なふうがあった。 郷里の親戚や知人の家へ行けば、今でも春田のかいた四君子や山水の絵の襖や屏風が見られる。私はそれを見るたびに、楊枝をかみながら絵絹に対している春田居士を思い浮かべる。その幻・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・学校教場の知見を丸出しにして実地の用に適せしめんとするも、浮世のように行わるべからざるは明白なる時勢とも心付かずして、我が国人は教育の熱心自から禁ずること能わず、次第次第に高きを勉めて止まるを知らず、俗世界はいぜんとして卑く、教育法はますま・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・兵庫の隣に神戸あれば、伊勢の旧城下に神戸あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。まず、骨なしの草書を覚えて廃学すればそれきりとあきらめ、都合よければ後に楷書の骨法をも学び、文字も俗字を先きにして雅言を後に・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・においてはただ飄然として日月を消する中に、政府は外国と条約を結び、貿易の道も開らけて、世間の風景、何となく文明開化の春をもよおし、洋学者の輩も人に悪まれ人に忌まるるその中に、時勢やむをえざるよりして、俗世界のために器として用いらるるの場合と・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・自己を保護せずしてかえって自己を棄てたる俗世俗人に対してすら、彼は時に一、二の罵詈を加うることなきにしもあらねど、多くはこれを一笑に付し去りて必ずしも争わざるがごとし。「独楽」の中にたのしみは木芽にやして大きなる饅頭を一つほほばりし・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫