・・・私に取ってはそれが神の力でも信仰の力でもなくして、実に自分の知識の力である。もしみずから僣して聡明ということを許されるなら、聡明なからである。仮に現在普通の道徳を私が何らかの点で踏み破るとする。私にはその後のことが気づかわれてならない。それ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・として、ひそかに信仰しつづけるのではないでしょうか。昨年、彼が借衣までして恋人に逢いに行ったという、そのときの彼の自嘲の川柳を二つ三つ左記して、この恐るべきお洒落童子の、ほんのあらましの短い紹介文を結ぶことに致しましょう。落人の借衣すずしく・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・そこには「信仰」や「愛情」のようなものが入り込んで来るからである。しかしそうなるともう私がここに言っているただの「案内者」ではなくなってそれは「師」となり「友」となる。師や友に導かれて誤って曠野の道に迷っても怨はないはずではあるまいか。・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・宗教を軽視し、信仰を侮辱することもまた甚しいと言わなければならない。 わたくしは齠齔のころ、その時代の習慣によって、夙く既に『大学』の素読を教えられた。成人の後は儒者の文と詩とを誦することを娯しみとなした。されば日常の道徳も不知不識の間・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・それが近年に至って文学上の趣味を楽むようになってから、智識的な事には少しあきが来て、感情に走った結果、宗教上の信仰という事に味いが出て来て、耶蘇教でも仏教でも信仰のある所には愉快な感じが起るようになった。しかしそれは文学上の美感が単に感情の・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・彼が死ぬことになるか、自分がどうかなるか、どちらでもよい。信仰を持ち、人生のおろそかでないことを知ってやる丈やって見ようと云う心持がはっきり来たのだ。 此は、一方から云えば恐ろしいことだ。二人の終りを、此世の終りを見ると同じ厳粛さで見よ・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・原来学問をしたものには、宗教家の謂う「信仰」は無い。そう云う人、即ち教育があって、信仰のない人に、単に神を尊敬しろ、福音を尊敬しろと云っても、それは出来ない。そこで信仰しないと同時に、宗教の必要をも認めなくなる。そう云う人は危険思想家である・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・このようなことは、禅機に達することだとは思わないが、カルビン派のように、知識で信仰にはいろうとしなければならぬ近代作家の生活においては、孝道氏の考え方は迷いを退けるには何よりの近道ではないかと思う。 他人のことは私は知らないが自分一人で・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ ただ私はこの運命の信仰が現在の無力の自覚から生まれている事を忘れたくないと思います。ここに誇大妄想と真実の自己運命の信仰との別があるのです。成長しないものと不断に力強く成長するものとの別があるのです。前者は自己を誇示して他人の前に優越・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫