・・・西洋人の唱かようにして美的理想を自然物の関係で実現しようとするものは山水専門の画家になったり、天地の景物を咏ずる事を好む支那詩人もしくは日本の俳句家のようなものになります。それからまた、この美的理想を人物の関係において実現しようとすると、美・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句という如きものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえ・・・ 西田幾多郎 「国語の自在性」
・・・徳川時代にては俳句まず客観的叙述において空前の進歩をなし、和歌もまたようやくに同じ傾向を現ぜり。されども歌人皆頑陋褊狭にして古習を破るあたわず、古人の用い来りし普通の材料題目の中にてやや変化を試みしのみ。曙覧、徳川時代の最後に出でて、始めて・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・その内ふと俳句と比較して見てから大に悟る所があった。俳句に富士山を入れると俗な句になりやすい、俳句に松の句もあるけれど松の句には俗なのが多くて、かえって冬木立の句に雅なのが多い、達磨なんかは俳句に入れると非常に厭味が出来る、これ位の事は前か・・・ 正岡子規 「画」
・・・趣が支那の詩のようになって俳句にならぬ。忽ち一艘の小舟が前岸の蘆花の間より現れて来た。すると宋江が潯陽江を渡る一段を思い出した。これは去年病中に『水滸伝』を読んだ時に、望見前面、満目蘆花、一派大江、滔々滾々、正来潯陽江辺、只聴得背後喊叫、火・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・私共は座敷にある俳句を読んだりした。「どうです? 一句――」 呑気に俳句の話が弾んだ。「百日紅というのだけは浮んだんですけどね、下の句でなくちゃね」 網野さんが一寸本気になりかけたので皆笑いだした。すると、それにつづき、・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・――和歌や俳句の夥しい駄作で、こうも陳腐化されなかった太古の。―― 今、若葉照りの彼方から聞えて来るその声は、私に、八月頃深い山路で耳にする藪鶯の響を思い出させた。板谷峠の奥に、大きい谿川が流れて居る。飛沫をあげて水の流れ下る巖角に裾を・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・姓は源、氏は細木、定紋は柊であるが、店の暖簾には一文字の下に三角の鱗形を染めさせるので、一鱗堂と号し、書を作るときは竜池と署し、俳句を吟じては仙塢と云い、狂歌を詠じては桃江園また鶴の門雛亀、後に源僊と云った。 竜池は父を伊兵衛と云った。・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・「俳句は古くからですか。」 これなら無事だ、と思われる安全な道が、突然二人の前に開けて来た。「いえ、最近です。」「好きなんですね。」「おれのう、頭の休まる法はないものかと、いつも考えていたときですが、高田さんの俳句をある・・・ 横光利一 「微笑」
関東大震災の前数年の間、先輩たちにまじって露伴先生から俳諧の指導をうけたことがある。その時の印象では、先生は実によく物の味のわかる人であり、またその味を人に伝えることの上手な人であった。俳句の味ばかりでなく、釣りでも、将棋でも、その他・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫