・・・ 古谷君は、ひどく傲然たるものである。 私も向っ腹が立っていたので、黙ってぐいと飲んだ。私の記憶する限りに於ては、これが私の生れてはじめての、ひや酒を飲んだ経験であった。 古谷君は懐手して、私の飲むのをじろじろ見て、そうして私の・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・太宰は瞬間まったくの小児のような泣きべそを掻いたが、すぐ、どす黒い唇を引きしめて、傲然と頭をもたげた。私はふっと、太宰の顔を好きに思った。佐竹は眼をかるくつぶって眠ったふりをしていた。 雨は晩になってもやまなかった。私は馬場とふたり、本・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・私は、それでも新進作家らしく、傲然とドア近くの椅子に腰かけたのであるが、膝がしらが音のするほどがくがくふるえた。私の眼が、だんだん、うすくらがりに馴れるにしたがい、その少女のすがたが、いよいよくっきり見えて来た。髪を短く刈りあげて、細い頬は・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・それだから丸善の二階でも各専門の書物は高い立派なガラス張りの戸棚から傲然として見おろしている。片すみに小さくなっているむき出しの安っぽい棚の中に窮屈そうにこの叢書が置かれている。 たとえば、昔の人は、見晴らしのいい丘の頂に建てられた小屋・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然塞ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云わず傲然として我前を通ったのさ、今までの態度・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ すなわち我輩の所望なれども、今その然らずして恰も国家の功臣を以て傲然自から居るがごとき、必ずしも窮屈なる三河武士の筆法を以て弾劾するを須たず、世界立国の常情に訴えて愧るなきを得ず。啻に氏の私の為めに惜しむのみならず、士人社会風教の為め・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・いつも傲然と胸をつき出し、ジェルテルスキーを子供扱いにしているマリーナ・イワーノヴナが、今日はどうしたことか、彼の挨拶に、うなずいて答えるのだけがやっとらしい有様であった。それを、ブーキン夫人が尤もだ、尤もだというように、吐息をついて眺めた・・・ 宮本百合子 「街」
・・・出て行くとき彼女は長い廊下を見送る看護婦たちにとりまかれながら、いささかの羞ずかしさのために顔を染めてはいたものの、傲然とした足つきで出ていった、それは丁度、長い酷使と粗食との生活に対して反抗した模範を示すかのように。その出て行くときの彼女・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・多分体格の立派なのと、項を反せて、傲然としているのとのためであっただろう。「エルリングです」と答えて、軽く会釈して、男は出て行った。 エルリングというのは古い、立派な、北国の王の名である。それを靴を磨く男が名告っている。ドイツにもフ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・その殿様というのはエラソウで、なかなか傲然と構えたお方で、お目通りが出来るどころではなく、御門をお通りになる度ごとに徳蔵おじが「こわいから隠れていろ」といい/\しましたから、僕は急いで、木の蔭やなんかへかくれるんです。ですがその奥さまという・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫