・・・雑木と枯茅でおおわれた大きな山腹がその桑畑へ傾斜して来ていた。山裾に沿って細い路がついていた。その路はしばらくすると暗い杉林のなかへは入ってゆくのだったが、打ち展けた平地と大らかに明るい傾斜に沿っているあいだ、それはいかにも空想の豊かな路に・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・ 二 山が、低くなだらかに傾斜して、二つの丘に分れ、やがて、草原に連って、広く、遠くへ展開している。 兵営は、その二つの丘の峡間にあった。 丘のそこかしこ、それから、丘のふもとの草原が延びて行こうとしているあたり・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 橇は、快く、雪の上を軽く辷って、稍傾斜している道を下った。 商人は、次の農家で、橇と馬の有無をたしかめ、それから玄関を奥へ這入って行った。 そこでも、金はいくらでも出す、そう彼は持ちかけた。そこが纏ると、又次へ橇を馳せた。・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ すぐ眼のさきの傾斜の上にある小高い百姓家の窓から、ロシア人が、こっちをねらって射撃していた。「何しにこんなところまで、おりてきたんだい。俺れゃ、人をうち殺すのにゃ、もうあきあきしちゃったぞ!」 栗本は、進撃の命令を下した者に明・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 浅間の麓に添うた傾斜の地勢は、あだかも人工で掘割られたように、小諸城址の附近で幾つかの深い谷を成している。谷の一つの浅い部分は耕されて旧士族地を取囲いているが、その桑畠や竹薮を背にしたところに桜井先生の住居があった。先生はエナアゼチッ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・緩傾斜をなして、一方から並木で囲まれている。山のよほど高い処にあるのである。その牧場が好く見える。木が一本一本見分けられる。忽ちまた真向うの、石を斫り出す処の岩壁が光り出した。それが黄いろい、燃え上がっている石の塀のように見える。それと同時・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・様様の色をしたひらたい岩で畳まれ、その片側の傾斜がゆるく流れて隣の小さくとがった峯へ伸び、もう一方の側の傾斜は、けわしい断崖をなしてその峯の中腹あたりにまで滑り落ち、それからまたふくらみがむくむく起って、ひろい丘になっている。断崖と丘の硲か・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・湯流山は氷のかけらが溶けかけているような形で、峯には三つのなだらかな起伏があり西端は流れたようにゆるやかな傾斜をなしていた。百米くらいの高さであった。太郎がどうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その訳は不明であった。いや、太郎がひとりで・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 山の傾斜面でもその傾斜角を大きく見過ぎるのが通例である。 これらと少し種類はちがうが、紙上に水平に一直線を描いて、その真中から上に垂直に同長の直線を立てると、その垂直線の方が長く見える。顔の長い人が鳥打帽を冠ると余計に顔が長く見え・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・花崗岩の板を贅沢に張りつめたゆるい傾斜を上りつめると、突きあたりに摺鉢のような池の岸に出た。そこに新聞縦覧所という札のかかった妙な家がある。一方には自動車道という大きな立札もある。そこに立って境内を見渡した時に私はかつて経験した覚えのない奇・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫