[補説]北朝鮮は1980年代に
プルトニウムを生産可能な黒鉛減速炉を寧辺 (ヨンビョン) に
建造。1992年の
IAEA(国際原子力機関)による
核査察で核兵器開発疑惑が表面化すると、
NPT(核不拡散条約)およびIAEAからの
脱退を
表明するなどしたため、緊張感が高まった。北朝鮮が核開発を
凍結する見返りに、軍事転用が
困難とされる
軽水炉への
転換を米韓日などが
支援することで
合意が
成立。1995年に
KEDO (ケド) (朝鮮半島エネルギー開発機構)が発足した。しかし、北朝鮮は2002年に核開発計画の
存在を認め、翌2003年にNPTから
正式に
脱退。
危機が
再燃したことから、米中朝三者協議が
開催され、六者協議に
発展。2005年の六者協議で北朝鮮は核放棄を
約束したが、その後もミサイル発射実験、核実験の
実施、六者協議への参加拒否・離脱表明など、
瀬戸際外交を繰り返している。なお、日本は北朝鮮の核開発放棄に加え、
同国による拉致問題など人権問題の
解決に向けての取り組みについても6者協議の場で
提起している。