・・・仙人は若かず、凡人の死苦あるに。」 恐らく、仙人は、人間の生活がなつかしくなって、わざわざ、苦しい事を、探してあるいていたのであろう。 芥川竜之介 「仙人」
・・・最後に先生の風采を凡人以上に超越させたものは、その怪しげなモオニング・コオトで、これは過去において黒かったと云う事実を危く忘却させるくらい、文字通り蒼然たる古色を帯びたものであった。しかも先生のうすよごれた折襟には、極めて派手な紫の襟飾が、・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・私は照れくさい思いがしたが、しかし、やはり私のような凡人は新聞に書かれると少しは嬉しいのか、その記事の文句をいまだにおぼえています。「既報“人生紙芝居”の相手役秋山八郎君の居所が奇しくも本紙記事が機縁となって判明した。四年前――昭和六年・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・平凡な人生を平凡な筆で正直にありのままに書くことが、作家として純粋だという考え方は、まるで文学のノスタルジアのように思われているが、自伝というものは、非凡な人間が語ってこそ興味があるので、われわれ凡人がポソポソと語って、何が面白かろう。しか・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・ 非凡人ではない。けれども凡人でもない。さりとて偏物でもなく、奇人でもない。非凡なる凡人というが最も適評かと僕は思っている。 僕は知れば知るほどこの男に感心せざるを得ないのである。感心するといったところで、秀吉とか、ナポレオンとかそ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・どうも凡人は困りますよ、社会を直線ずくめに仕たがるのには困るよ。チト宇宙の真理を見ればよいのサ。政事家は政事家で、自己の議論を実行して世界を画一のものにしようなんという馬鹿気ているのが有るし。文人は文人で自己流の文章を尺度にしてキチンと文体・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・軸や輪や汽鑵がある。凡人の腕で、猛獣を馴らすように、馴らされた秘密の力がある。扣鈕を掛けたジャケツの下で、男等の筋肉が、見る見る為事の恋しさに張って来る、顫えて来る。目は今までよりも広くかれて輝いている。「ええ。あの仲間へ這入ってこの腕を上・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・未来の可能性は、それがどんなに現在の凡人に無稽に見えても実は現在の可能性のほんのわずかの延長にしか過ぎないからである。人間の飽くことなき欲望がこの可能性の外被を外へ外へと押して行くと、この外被は飴のようにどこまでもどこまでも延長して行くので・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時に私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり子猫でもかわいがって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れはばかりあるいは憎むよりほかはないかもしれない。・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・尊崇している偉人や大家がたちまちにして凡人以下になったりするのではだれでも不愉快である。大概の錯覚は永久にだいじにそっとしておくほうがいいかもしれない。ただ事がらが自然科学の事実に関する限り、それを新聞社会欄の記事として錯覚的興味をそそるこ・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫