・・・ 妾宅では、前の晩、宵に一度、てんどんのお誂え、夜中一時頃に蕎麦の出前が、芬と枕頭を匂って露路を入ったことを知っているので、行けば何かあるだろう……天気が可いとなお食べたい。空腹を抱いて、げっそりと落込むように、溝の減った裏長屋の格子戸・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・坂田は馴れぬ手つきで、うどんの玉を湯がいたり雇の少女が出前に出た留守には、客の前へ運んで行ったりした。やがて、照枝は流産した。それが切っ掛けで腹膜になり、大学病院へ入院した。手術後ぶらぶらしているうちに、胸へ来た。医者代が嵩む一方、店は次第・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 新京極に折れると、たてた戸の間から金盥を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の夜更けを見せている。昼間は雑閙のなかに埋れて・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を啣えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大八車を※って来て一晩寝ずにかかって自分の荷を新宅へ運んだのである。彼はすこぶる尨大なるシマリのない顔をしている。・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ーリキイは、ソヴェト同盟に自分が永住するかどうかということについても、はっきり心を決めていなかったようであったし、彼としては予想したよりはるかに盛大な、心からの歓迎に感動しつつ、今日から考えると、日の出前の空が、濃いとりどりの色で彩られてい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ーリキイは、ソヴェト同盟に自分が永住するかどうかということについても、はっきり心を決めていなかったようであったし、彼としては予想したよりはるかに盛大な、心からの歓迎に感動しつつ、今日から考えると、日の出前の空が、とりどりな暁の色で彩られてい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
出典:青空文庫