・・・年と五年の中にはめきめきと身上を仕出しまして、家は建て増します、座敷は拵えます、通庭の両方には入込でお客が一杯という勢、とうとう蔵の二戸前も拵えて、初はほんのもう屋台店で渋茶を汲出しておりましたのが俄分限。 七年目に一度顔を見せましてか・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・この小さな日本を六十幾つに劃って、ちょっと隣へ往くにも関所があり、税関があり、人間と人間の間には階級があり格式があり分限があり、法度でしばって、習慣で固めて、いやしくも新しいものは皆禁制、新しい事をするものは皆謀叛人であった時代を想像して御・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・衣服飲食抔も身の分限に随ひ用ひて奢こと勿れ。 人の妻たる者が能く家を保ち万事倹にして費を作す可らず、衣服飲食なども身の分限に随て奢ること勿れと言う。人生家に居るの法にして甚だ宜し。大に賛成する所なれども、我輩は今一歩を進め、婦人・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・脩心学とはこの理に基き、是非曲直を分ち、礼義廉節を重んじ、これを外にすれば政府と人民との関係、これを内にすれば親子夫婦の道、一々その分限を定め、その職分を立て、天理にしたがいて人間に交わるの道を明らかにする学問にて、ひっきょう霊心の議論なり・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ もし心得ちがいの者ありて自由の分限を越え、他人を害して自から利せんとする者あれば、すなわち人間の仲間に害ある人なるゆえ、天の罪するところ、人の許さざるところ、貴賤長幼の差別なく、これを軽蔑して可なり、これを罰して差支なし。右の如く、人・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・また巫覡に迷うべからず、衣服分限に従うべし、年少きとき男子と猥れ猥れしくすべからず云々は最も可なり。また夫を主人として敬うべしというは、女子より言を立てて一方に偏するが故に不都合なるのみ。けだし主人とするとは敬礼の極度を表したるものなれば、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫