・・・けれどももう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至はまた燐寸の商標だとか、物はいろいろ変ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまる・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・よしんば、その公式で円い玉子が四角に割り切れても、切れ端が残るではないかと考えるのだ。 新吉は世相を描こうとしたその作品の結末で、この切れ端の処理をしなければならなかった。が、三時になっても、それが出来なかった。一つには、もうすっかり頭・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・円い玉子も切りようで四角いとはいうものの、やはり切れ端が残るのである。欠伸をまじえても金銭に換算しても、やはり女の生理の秘密はその都度新鮮な驚きであった。私は深刻憂鬱な日々を送った。 阿部定の事件が起ったのは、丁度そんな時だ。妖艶な彼女・・・ 織田作之助 「世相」
・・・で、紳士たる以上はせめてムダ金の拾万両も棄てて、小町の真筆のあなめあなめの歌、孔子様の讃が金で書いてある顔回の瓢、耶蘇の血が染みている十字架の切れ端などというものを買込んで、どんなものだいと反身になるのもマンザラ悪くはあるまいかも知らぬ。・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・小屋のすぐ前に屋台店のようなものが出来ていて、それによごれた叺を並べ、馬の餌にするような芋の切れ端しや、砂埃に色の変った駄菓子が少しばかり、ビール罎の口のとれたのに夏菊などさしたのが一方に立ててある。店の軒には、青や赤の短冊に、歌か俳句か書・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・ベースには蓆の切れ端やぞうきんで用が足りた。ボールがゴムまり、バットには手ごろの竹片がそこらの畑の垣根から容易に略奪された。しかし、それでは物足りない連中は、母親をせびった小銭で近所の大工に頼んでいいかげんの棍棒を手にいれた。投網の錘をたた・・・ 寺田寅彦 「野球時代」
・・・大抵は鼠色のフラネルに風呂敷の切れ端のような襟飾を結んで済ましておられた。しかもその風呂敷に似た襟飾が時々胴着の胸から抜け出して風にひらひらするのを見受けた事があった。高等学校の教授が黒いガウンを着出したのはその頃からの事であるが、先生も当・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・あんな事実の切れ端を盛ったものでさえ、今の私たちが世界の実情を知りたいと思っている心の飢渇に対しては、何ものかであるかのように思えた、それほど私たちは何も知らない状態におかれているのだという今日の現実は、その場合全く考えられていないのである・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
・・・時を経ても、作家というものは自分の作品について心に刻みこまれた評言の切れ端だって忘れてしまうことはないのだから、何につけ彼につけ、その印刻は心のなかで揉まれほぐされ吟味されつづけて、その無言内奥の作業の果、遂に作家が明らかな確信をもって批評・・・ 宮本百合子 「遠い願い」
出典:青空文庫