・・・るばかりの不規則な力の無い歩みを運びながら、洋服で腕組みしたり、頭を垂れたり、あるいは薄荷パイプを啣えたりして、熱い砂を踏んで行く人の群を眺めると、丁度この濠端に、同じような高さに揃えられて、枝も葉も切り捨てられて、各自の特色を延ばすことも・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・兵法 文章の中の、ここの箇所は切り捨てたらよいものか、それとも、このままのほうがよいものか、途方にくれた場合には、必ずその箇所を切り捨てなければいけない。いわんや、その箇所に何か書き加えるなど、もってのほかというべきであろう・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・の台本と、いよいよできあがった作品とを比べてみても、いかに多くのものが切り捨てられたかがわかる。チャプリンがその「街の灯」の一場面を撮るためにいかに多くのフィルムをむだにしているかは、エゴン・エルウィン・ウィッシュの訪問記を一見しても想像さ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それだけに、なろう事ならその限られた長方形の中に、切り捨てた世界をもいっしょに押し縮めたようなものを収めたくなるのである。それだから、カメラをさげて秋晴れの郊外を歩いている人たちはおそらく幾平方センチメートルの紙片の中に全武蔵野の秋を圧縮し・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・すなわち、上述の重合部が前句のほとんど全面積をおおっていて、切り捨てた残部があまりに僅少になるためである。さて以上の心理から起こるアタヴィズム的傾向は連句の規約上厳重に抑制せられるから、少なくも完成した古人の連句集には原則としては現われない・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・昔年、馬に乗れば切捨てられたる百姓町人の少年輩が、今日借馬に乗て飛廻わり、誤って旧藩地の士族を踏殺すも、法律においてはただ罰金の沙汰あらんのみ。 また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・そこでこの限度内において人形を動かすためには、不必要な動作、意味の少ない動作は切り捨てるほかはない。そうすれば人の動作にとって本質的な契機のみが残されてくることになる。ここに能の動作との著しい対照が起こって来るゆえんがあり、また人形振りが歌・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫