・・・早瀬 お蔦 切通しを帰るんだわね、おもいを切って通すんでなく、身体を裂いて分れるような。早瀬 お蔦しおしおと行きかかり、胸のいたみをおさえて立留る、早瀬ハッと向合う。両方おもてを見合わす。実に寒山のかなしみも、か・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・ かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上りきった突端に、その耕吉には恰好だという空家が、ちょこなんと建っていた。西向きの家の前は往来を隔てた杉山と、その上の二千尺もあろうという坊主山で塞がれ、後ろの杉や松の生えた山裾の下の谷間は・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 昼間、子供達が板を尻に当てて棒で揖をとりながら、行列して滑る有様を信子が話していたが、その切り通し坂はその傾斜の地続きになっていた。そこは滑石を塗ったように気味悪く光っていた。 バサバサと凍った雪を踏んで、月光のなかを、彼は美しい・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・灌木や竹藪の根が生なました赤土から切口を覗かせている例の切通し坂だった。 ――彼がそこへ来かかると、赤土から女の太腿が出ていた。何本も何本もだった。「何だろう」「それは××が南洋から持って帰って、庭へ植えている○○の木の根だ」・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・夜の更けた切り通し坂を自分はまるで疲れ切って歩いていた。袴の捌ける音が変に耳についた。坂の中途に反射鏡のついた照明燈が道を照している。それを背にうけて自分の影がくっきり長く地を這っていた。マントの下に買物の包みを抱えて少し膨れた自分の影を両・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・あそこの家の子息さんも切通しで亡くなったってねえ。お力はあの子息さんを覚えているだろう」 髪をなでつける人、なでつけて貰う人の間には、すべてが思い出の種でないものはなかった。お三輪のいう小伝馬町の富田さんとは、石町の御隠居さんの家から分・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・近ごろの新しい画学生の間に重宝がられるセザンヌ式の切り通し道の赤土の崖もあれば、そのさきにはまた旧派向きの牛飼い小屋もあった。いわゆる原っぱへ出ると、南を向いた丘の斜面の草原には秋草もあれば桜の紅葉もあったが、どうもちょうどぐあいのいい所を・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ むかし芝の鐘は切通しにあったそうであるが、今はその処には見えない。今の鐘は増上寺の境内の、どの辺から撞き出されるのか。わたくしはこれを知らない。 わたくしは今の家にはもう二十年近く住んでいる。始めて引越して来たころには、近処の崖下・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・その青いなかの切通しへ三人の車が静かにかかって行く。車夫は草鞋も足袋も穿かずに素足を柔かそうな土の上に踏みつけて、腰の力で車を爪先上りに引き上げる。すると左右を鎖す一面の芒の根から爽かな虫の音が聞え出した。それが幌を打つ雨の音に打ち勝つよう・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・或る晩、九つの私は父につれられて本郷の切通しだったか坂の中途にある薄暗いその楽器屋へピアノを見に行った。いく台も並んである間にはさまって、その黒いピアノは大したものにも見えなかったので何となしぼーとしてかえって来た。ところが何日か経って、天・・・ 宮本百合子 「親子一体の教育法」
出典:青空文庫