・・・たと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云わず傲然として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合についてのみあえてするが、その他・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・太閤様と正成とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏め得る程度以上に纏めた簡略な形式にし・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・主実主義を卑んじて二神教を奉じ、善は悪に勝つものとの当推量を定規として世の現象を説んとす。是れ教法の提灯持のみ、小説めいた説教のみ。豈に呼で真の小説となすにたらんや。さはいえ摸写々々とばかりにて如何なるものと論定めておかざれば、此方にも胡乱・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・いいえどかれません、じゃ法令の通りボックシングをやりましょうとなるだろう、勝つことも負けることもある、けれども僕は卑怯は嫌いだからねえ、もしすきをねらって遁げたりするものがあってもそんなやつを追いかけやしない、あとでヘルマン大佐につかまるよ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ じぶんもまたためいきをついて、そのうつくしい七つのマジエルの星を仰ぎながら、ああ、あしたの戦でわたくしが勝つことがいいのか、山烏がかつのがいいのか、それはわたくしにわかりません、ただあなたのお考のとおりです、わたくしはわたくしにきまっ・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・ もうこうなっては根の強い方が勝つんやから。 栄蔵は、根くらべをする気になって居た。 義理がたい栄蔵は、ちょくちょく東京へ手紙をやっては、思い通りの結果が上らなくてすまないとか、気の毒だとか云ってやった。 栄蔵が、畢・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・はじめから理において勝つべき根拠を失っていて、三宅正太郎によってさえも悪法として警戒されていた治安維持法は、過去十数年間の日本から、知性を殺戮しつくしたのであった。そのあまりの無法さは、直接その刃の下におかれた人々の正気を狂わせたし、その光・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、この観察の土台になっている個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿をすると同時に、老伯が素食をするのは、土地で好い牛肉が得られないか・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・彼は愛を以て勝つのである。真に人格を以て克つのである。我を以て争う時にはどんなに弱いものでも刃向って来る。嘲笑や皮肉によっては何者も征服せられない。偉人は卑しい者の内にも人間を見る。手におえないようなあばずれ者にも真に人間らしい本音を吐かせ・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫