・・・就中椿岳が常住起居した四畳半の壁に嵌込んだ化粧窓は蛙股の古材を両断して合掌に組合わしたのを外框とした火燈型で、木目を洗出された時代の錆のある板扉の中央に取附けた鎌倉時代の鉄の鰕錠が頗る椿岳気分を漂わしていた。更にヨリ一層椿岳の個性を発揮した・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・搗てて加えて沼南夫人の極彩色にお化粧した顔はお葬い向きでなかった。その上に間断なくニタニタ笑いながら沼南と喃々私語して行く体たらくは柩を見送るものを顰蹙せしめずには措かなかった。政界の名士沼南とも知らない行人の中には目に余って、あるいは岡焼・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・背中を向けて化粧している女の顔がうつっていた。案の定脱衣場で見た顔だった。白粉の下に生気のない皮膚がたるんでいると、一眼にわかった。いきなり宿帳の「三十四歳」を想い出した。それより若くは見えなかった。 女はどうぞとこちらを向いて、宿の丹・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・その目で見たせいか、彼女の痩形の、そして右肩下りの、線の崩れたようなからだつきは何かいろっぽく思えたが、しかし、やや分厚い柔かそうな下唇や、その唇の真中にちょっぴり下手に紅をつける化粧の仕方や、胸のふくらみのだらんと下ったところなど、結婚し・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 厭らしく化粧した踊り子がカチ/\と拍子木を鼓いて、その後から十六七位の女がガチャ/\三味線を鳴らし唄をうたいながら入って来た。一人の酔払いが金を遣った。手を振り腰を振りして、尖がった狐のような顔を白く塗り立てたその踊り子は、時々変な斜・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 夢のなかの彼女は、鏡の前で化粧していた。私は新聞かなにかを見ながら、ちらちらその方を眺めていたのであるが、アッと驚きの小さな声をあげた。彼女は、なんと! 猫の手で顔へ白粉を塗っているのである。私はゾッとした。しかし、なおよく見ていると・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・彼が城へ行っている間に姉も信子もこってり化粧をしていた。 姉が義兄に「あんた、扇子は?」「衣嚢にあるけど……」「そうやな。あれも汚れてますで……」 姉が合点合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・この骨組みの鉄筋コンクリート構造に耐え得ずして、直ちに化粧煉瓦を求め、サロンのデコレーションを追うて、文芸の門はくぐるが、倫理学の門は素通りするという青年学生が如何に多いことであろう。しかしすぐれた文学者には倫理学的教養はあるものである。人・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ もしこれをしも軽んじ、もしくは不感性の娘があるとしたら、それはその化粧法の如く心まで欧化してしまった異邦人の娘である。もう祖国の娘ではない。国土から咲いた花ではない。 どこまでも日本の娘であれ。万葉時代の娘のような色濃き、深き、い・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・帽子の下に天子印の、四五間さきの空気をくんくんさせる高価な化粧品をしのばせていた。そして、彼らが市街のいずれかへ消えて行って、今夜ひっかえしてくる時には、靴下や化粧品のかわりに、ルーブル紙幣を、衣服の下にかくしている。そんな奴があった。・・・ 黒島伝治 「国境」
出典:青空文庫