・・・二君はこの日午前より劇場に在って演劇の稽古の思いの外早く終ったところから、相携えてこの店に立寄られたのだと云う。店の主人は既にわたくしとは相識の間である。偶然の会合に興を得て店頭の言談には忽花がさいた。主人は喜んで新に買入れた古書錦絵の類を・・・ 永井荷風 「百花園」
発電所の掘鑿は進んだ。今はもう水面下五十尺に及んだ。 三台のポムプは、昼夜間断なくモーターを焼く程働き続けていた。 掘鑿の坑夫は、今や昼夜兼行であった。 午前五時、午前九時、正午十二時、午後三時、午後六時には取・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ 十一 午前の三時から始めた煤払いは、夜の明けないうちに内所をしまい、客の帰るころから娼妓の部屋部屋を払き始めて、午前の十一時には名代部屋を合わせて百幾個の室に蜘蛛の網一線剰さず、廊下に雑巾まで掛けてしまった。 ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・その内にも船はとまって居るのでもないからその次の日であったかまた次の日であったのか午前に日本の見えるという処まで来た。日本が見える、青い山が見える。という喜ばしげな声は処々で人々の口より聞えた。寝て居る自分もこの声を聞いて思わずほほ笑んだ。・・・ 正岡子規 「病」
・・・そこでほかの実習の組の人たちは羨ましがった。午前中その実習をして放課になった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午后はみんなでテニスコートを直したりした。四月二日 水曜日 晴今日は三年生は地質と土性の・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 昨夜スウェルドロフスキー時間の午前一時頃ノヴォシビリスクへ。モスクワでウラジヴォストクまでの切符を買う時ノヴォシビリスクで途中下車をするようにしようかとまで思ったところだ。新シベリアの生産と文化の中軸だ。真夜中で〇・一五度では何とも仕・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
木村は官吏である。 ある日いつもの通りに、午前六時に目を醒ました。夏の初めである。もう外は明るくなっているが、女中が遠慮してこの間だけは雨戸を開けずに置く。蚊の外に小さく燃えているランプの光で、独寝の閨が寂しく見えている。 器・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・その日は日曜日の午前で天気が好かった。ユリアはやはり昔の色の蒼い、娘らしい顔附をしている。ただ少し年を取っただけである。ツァウォツキイが来た時、ユリアは平屋の窓の傍で縫物をしていた。窓の枠の上には赤い草花が二鉢置いてある。背後には小さい帷が・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・青々とした蔓草の巻き付いている、その家に越して来た当座の、ある日の午前であった。己の部屋の窓を叩いたものがある。「誰か」と云って、その這入った男を見て、己は目を大きくみはった。 背の高い、立派な男である。この土地で奴僕の締める浅葱の・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・ しかしこの美しさは、せいぜい午前十時ごろまでしか持たない。小枝の上にたまった雪などは非常に崩れやすく、ちょっとした風や、少しの間の日光で、すぐだめになってしまう。枝の上の雪が崩れ始めれば、もう雪景色はおしまいである。だから市中に住んで・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫