・・・――姉さんが来て、今日は火が燃える、大火事があって危ないから、早仕舞にしてお帰りなさい。先生にそうお願いして、と言いますから……家へ帰らして下さい、と云うんです。含羞む児だから、小さな声して。 風はこれだ。 聞えないで僥倖。ちょっと・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ブリッジを渡る暇もないのでレールを踏越えて、漸とこさと乗込んでから顔を出すと、跡から追駈けて来た二葉亭は柵の外に立って、例の錆のある太い声で、「芭蕉さまのお連れで危ない処だった」といった。その途端に列車は動き出し、窓からサヨナラを交換したが・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そしてなにげないふうで、その子供の後ろにまわって、えりもとへはえを落として、「あっ、危ない、はちが入った! はちが入った!」と叫んだ。 その子供は驚いて、さっそく帯を解いて着物を脱ぎ捨てると、「僕が、はちを殺してやる。」といって・・・ 小川未明 「つばめと乞食の子」
・・・『何だ何だ危ない! どうしたッ?』と掬うようにして僕を起こした。僕はそのまま小藪のなかに飛び込んだ。そして叔父さんも続いて飛び込んだ。『打ったな!』と叔父さんは鹿を一目見て叫んだ。そして何とも形容のしようのない妙な笑いを目元に浮かべ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・そんなときは一番危ない。これはそんなに焦らずとも、待っていれば運命は必ずチャンスを与えるのだ。自分がまだごく若く、青春がまだまだ永いことが自分に考えられないのだ。二十五歳まで学生時代全然チャンスがなくっても心配することはない。ましてそんなこ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・お母さんがあんな危ないことをするんだもの。炭俵に火なぞをつけて、あんな垣根の方へ投ってやるんだもの。わたしは、はらはらして見ていたぞい――ほんとだぞい」 お新はもう眼に一ぱい涙を溜めていた。その力を籠めた言葉には年老いた母親を思うあわれ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・花を、危ない所に行って取って来て呉れた、ただ、それだけなのだけれど、百合を見るときには、きっと坑夫を思い出す。 机の引き出しをあけて、かきまわしていたら、去年の夏の扇子が出て来た。白い紙に、元禄時代の女のひとが行儀わるく坐り崩れて、その・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・きたためでもあろうが、令嬢の美にうっとりとしていたかれの手が真鍮の棒から離れたと同時に、その大きな体はみごとにとんぼがえりを打って、なんのことはない大きな毬のように、ころころと線路の上に転がり落ちた。危ないと車掌が絶叫したのも遅し早し、上り・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・正確な時日に予報出来ないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう云ってくれてもいいではないか、今まで黙っていて、災害のあった後に急にそんなことを云うのはひどい。」 すると、学者の方では「それはもう十年も二十年も前にとうに警・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・を立てて、そうしてその型はただ在来あるからという意味で、またその型を自分が好いているというだけで、そうして傍観者たる学者のような態度をもって、相手の生活の内容に自分が触れることなしに推していったならば危ない。 一言にして云えば、明治に適・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫