・・・という気持を同時に感じた。相手が出ぬ前、受話機をかけてしまうかと思い、ためらった、がその時電話口にSの妹が出た。Sはいなかった。彼はがっかりした。今晩はまただめになったと思った。 本屋を出たとき龍介は、ギョッとした。――恵子だ! 明るい・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・兄弟であって、同時に競争者――それは二人の子供に取って避けがたいことのように見えた。なるべく思い思いの道を取らせたい。その意味から言っても、私は二人の子供を引き離したかった。「次郎ちゃん、おもしろい話があるんだが、お前はそれを聞いてくれ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・けれども同時にその源が神秘なものでも荘厳なものでもなくなって、第一義真理の魅力を失い、崇拝にも憧憬にも当たらなくなってしまう。四 知識で押して行けば普通道徳が一の方便になるとともに、その根柢に自己の生を愛するという積極的な目・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・それと同時に胸に一ぱい息を溜めた。そしてその息を唇から外へ洩らすまいとしたが、とうとう力のないうめきになって洩れた。そのうめきのうちに早口に囁くような詞が聞えた。「いやだ、いやだ。」そして両手を隠しから出した。幅の広い鉄で鍛えたような鍛冶職・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 或人は、電車で神田神保町のとおりを走っているところへ、がたがたと来て、電車はどかんととまる、びっくりしてとび下りると同時に、片がわの雑貨店の洋館がずしんと目のまえにたおれる、そちこちで、はりさけるような女のさけび声がする、それから先は・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。 秋は、・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・ そう思うと同時に、平生の傲慢が萌す。幸な事には、いつまでもこんな事をする必要がない。出来たからって、えらがるのは、沙汰の限りだ。こう思うと、頗る愉快になって来た。 その時銀行員は戸を叩いた。ポルジイは這入らせはしたが、ちょっと誰だ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ところが押しつけられるようで、不愉快で不愉快でしかたがない。ややともすると胸がむかつきそうになる。不安の念がすさまじい力で全身を襲った。と同時に、恐ろしい動揺がまた始まって、耳からも頭からも、種々の声が囁いてくる。この前にもこうした不安はあ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・無論同時に秘密警察署へも報告をいたしまして、私立探偵事務所二箇所へ知らせましたそうで。」「なるほど。シエロック・ホルムス先生に知らせたのだね。」 門番はおれの顔を見た。その見かたは慇懃ではあるが、変に思っているという見かたであった。・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・こういう物の運動に関係した問題に触れ初めると同時に、今までそっとしておいた力学の急所がそろそろ痛みを感ずるようになって来た。ロレンツのごとき優れた老大家は疾くからこの問題に手を附けて、色々な矛盾の痛みを局部的の手術で治療しようとして骨折って・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫