・・・ 三 ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。 朝、寝床のなかで行一は雪解の滴がトタン屋根を忙しくたたくのを聞いた。 窓の戸を繰ると、あらたかな日の光が部屋一杯に射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・と心得候て必ず必ず女々しき挙動あるべからず候なお細々のことは嫂かき添え申すべく候右認め候て後母様の仰せにて仏壇に燈ささげ候えば私が手に扶けられて母様は床の上にすわりたまいこの遺言父の霊にも告げてはと読み上げたもう御声悲しく一句読・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・腕にかゝった醤油を前掛でこすり/\事務所へ行くと、杜氏が、都合で主人から暇が出た、――突然、そういうことを彼に告げた。何か仔細がありそうだった。「どうしたんですか?」「君の家の方へ帰って見ればすぐ分るそうだが……。」杜氏は人のいゝ笑・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・ 大噐晩成先生はこれだけの談を親しい友人に告げた。病気はすべて治った。が、再び学窓にその人は見われなかった。山間水涯に姓名を埋めて、平凡人となり了するつもりに料簡をつけたのであろう。或人は某地にその人が日に焦けきったただの農夫と・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・そう言っておげんは皆に別れを告げて来た。待っても、待っても、旦那はあれから帰って来なかった。国の方で留守居するおげんが朝夕の友と言えば、旦那の置いて行った机、旦那の置いて行った部屋、旦那のことを思い二人の子のことを思えば濡れない晩はなかった・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その頼信紙は引き裂いて、もう一枚、頼信紙をもらい受けて、こんどは少し考えて、まず私の居所姓名をはっきり告げて、それからダイサンショウミツケタとだけ記して発信する事にした。スグコイと言わなくても、先生は足を宙にして飛んでくる筈だと考えた。果し・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・例えば家なき児レミがミリガン夫人に別れを告げて船を下りてから、ヴイタリス老人とちょっと顔を見合せて、そうしてあてのない旅路をふみ出すところなどでも、何でもないようで細かい情趣がにじんでいる。永い旅路と季節の推移を示す短いシーンの系列など、ま・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・しからば新日本史はここに完結を告げたか。これから守成の歴史に移るのか。局面回復の要はないか。最早志士の必要はないか。飛んでもないことである。五十歳前、徳川三百年の封建社会をただ一簸りに推流して日本を打って一丸とした世界の大潮流は、倦まず息ま・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・一国の伝統にして戦争によって終局を告げたものも、仮名づかいの変化の如きを初めとして、その例を挙げたら二、三に止まらぬであろう。昭和廿二年二月 ○ 市川の町を歩いている時、わたくしは折々四、五十年前、電車も自・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ かくのごとく予期せられたる書斎は二千円の費用にてまずまず思い通りに落成を告げて予期通りの功果を奏したがこれと同時に思い掛けなき障害がまたも主人公の耳辺に起った。なるほど洋琴の音もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなく・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫