・・・尤もそれを信用する争議団員は一人もありはしなかったが……しかし、モウ今日では、利平達は、社長の唯一の手足であり、杖であった。会社の浮沈を我身の浮沈と考えていた。彼等は争議団員中の軟派分子を知っていた。またいろいろの団員中の弱点も知っていた。・・・ 徳永直 「眼」
・・・有楽座を日本唯一の新しい西洋式の劇場として眺めたのも僅に二、三年間の事に過ぎなかった。われわれが新橋の停車場を別れの場所、出発の場所として描写するのも、また僅々四、五年間の事であろう。 今では日吉町にプランタンが出来たし、尾張町の角には・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・横手の流元の引窓から彼は覗いた。唯一つの火鉢へ二三人が手を翳して居る。他の瞽女はぽっさり懐手をして居る。みんな唄の疲が出たせいか深い思に沈んだようにして首をかしげて居る。太十は尚お去ろうともしなかった。突然戸が開いた。太十は驚いて身を引いた・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・とすぐ通せん坊をされる、進退これきわまるとは啻に自転車の上のみにてはあらざりけり、と独りで感心をしている、感心したばかりでは埒があかないから、この際唯一の手段として「しかし」をもう一遍繰り返す「しかし……今度の土曜は天気でしょうか」旗幟の鮮・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・故に世界的世界形成主義に於ては、各の個人は、唯一なる歴史的場所、時に於て、自己の使命と責務とを有するのである。日本人は、日本人として、此の日本歴史的現実に於て、即ち今日の時局に於て、唯一なる自己の道徳的使命と責務とを有するのである。 民・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・彼がこの文章の形式を選んだのは、一つには彼の肉体が病弱で、体系を有する大論文を書くに適しなかつた為もあらうが、実にはこの形式の表現が、彼のユニイクな直覚的の詩想や哲学と適応して居り、それが唯一最善の方法であつたからである。アフォリズムとは、・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・船員が極り切って着ている、続きの菜っ葉服が、矢っ張り私の唯一の衣類であった。 私は半月余り前、フランテンの欧洲航路を終えて帰った許りの所だった。船は、ドックに入っていた。 私は大分飲んでいた。時は蒸し暑くて、埃っぽい七月下旬の夕方、・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・』 私は若子さんの後に尾いて、停車場の内へ這入ろうとした時、其処に物思わしげな顔をしながら、きょろきょろ四辺を見廻して居た女の人を見ました。唯一目見たばかりですが、何だか可哀相で可哀相でならない気が為たのでした。 そうねえ、年は、二・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・女子の天性容色を重んずるが故に、其唯一に重んずる所の容よりも心の勝れたるこそ善けれと記して、文章に力を付けたるは巧なりと雖も、唯是れ文章家の巧として見る可きのみ。其以下婦人の悪徳を並べ立てたる箇条は読んで字の如く悪徳ならざるはなし。心騒しく・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・夫の米リンスキーが世間唯一意匠ありて存すといわれしも強ちに出放題にもあるまじと思わる。 形とは物なり。物動いて事を生ず。されば事も亦形なり。意物に見われし者、之を物の持前という。物質の和合也。其事に見われしもの之を事の持前というに、事の・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
出典:青空文庫