・・・小学の教則に、さまざま高上なる課目をのせ、技芸も頂上に達して、画学、音楽、唱歌、体操等を教授せんとする者あるが如し。田舎の百姓の子に体操とは何事ぞ。草を刈り、牛を飼い、草臥はてたるその子供を、また学校に呼びて梯子登りの稽古か、難渋至極という・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・智識の眼より見るときは、清元にもあれ常磐津にもあれ凡そ唱歌といえるものは皆人間の声に調子を付けしものにて、其調子に身の有るものは常磐津となり意気なものは清元となると、先ず斯様に言わねばならぬ筈。されど若し其の身のある調子とか意気な調子とかい・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・ 二時間目は一年生から六年生までみんな唱歌でした。そして先生がマンドリンを持って出て来て、みんなはいままでに習ったのを先生のマンドリンについて五つもうたいました。 三郎もみんな知っていて、みんなどんどん歌いました。そしてこの時間はた・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ けれども二人が一つの大きな帳面をのぞきこんで一所に同じように口をあいたり少し閉じたりしているのを見るとあれは一緒に唱歌をうたっているのだということは誰だってすぐわかるだろう。僕はそのいろいろにうごく二人の小さな口つきをじっと見ているの・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・ アーチになった祭壇のすぐ下には、スナイダーを楽長とするオーケストラバンドが、半円陣を採り、その左には唱歌隊の席がありました。唱歌隊の中にはカナダのグロッコも居たそうですが、どの人かわかりませんでした。 ところが祭壇の下オーケストラ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・一人は唱歌の先生である。三人は毎日そろってひけてかえる。その位の親友であった。ある日、授業が終ってこれから礼というとき、さっとドアがあいて、一年の先生が首をのぞけた。「もう授業すんだんでしょう?」「ええ」「じゃ、一寸御免なさい」・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・五つをかしらに三人の子供たちをそのぐるりにあつめながら、バラの花簪などを髪にさした母のうたった唱歌は「青葉しげれる桜井の」だの「ウラルの彼方風あれて」だのであった。当時、父は洋行中の留守の家で、若かった母は情熱的な声でそれらの唱歌を高くうた・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・その声よりも稚い国民学校の子供たち、絵本のほしい子供たち、その子たちはアメリカの子供がたべても美味しいミカン、という奇妙な唱歌をうたって、アメリカから送られたきれいな本を三越の展覧会でごらんなさい、と教えられている。国民学校や中等学校は教科・・・ 宮本百合子 「豪華版」
・・・併合して教えるとするにしても、いちどきに百人から百五十人を入れる唱歌教室をどの小学校でも持っているというわけではあるまい。倍の労力に対する先生への報酬は、どのように変化するのだろうか。 国民学校へ移ってゆく現実の過程には、あらゆる面で、・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・早くオルガンを聴きながら唱歌を唄ってみたかった。「灸ちゃん。御飯よ。」と姉が呼んだ。 茶の間へ行くと、灸の茶碗に盛られた御飯の上からはもう湯気が昇っていた。青い野菜は露の中に浮んでいた。灸は自分の小さい箸をとった。が、二階の女の子の・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫