・・・ 車夫は五六歩行き過ぎてから、大廻しに楫棒を店の前へ下した。さすがに慎太郎にもなつかしい、分厚な硝子戸の立った店の前へ。 四 一時間の後店の二階には、谷村博士を中心に、賢造、慎太郎、お絹の夫の三人が浮かない・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。「おばあさま、どうしたの?」 と聞いてみた。おばあさ・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・めった、人の目につかんでしゅから、山根の潮の差引きに、隠れたり、出たりして、凸凹凸凹凸凹と、累って敷く礁を削り廻しに、漁師が、天然の生簀、生船がまえにして、魚を貯えて置くでしゅが、鯛も鰈も、梅雨じけで見えんでしゅ。……掬い残りの小こい鰯子が・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 省作はからだは大きいけれど、この春中学を終えて今年からの百姓だから、何をしても手回しがのろい。昨日の稲刈りなどは随分みじめなものであった。だれにもかなわない。十四のおはまにも危うく負けるところであった。実は負けたのだ。「省さん、刈・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・それにもかかわらず、何かというと必要もないのに貧乏を揮廻していた。 沼南が今の邸宅を新築した頃、偶然訪問して「大層立派な御普請が出来ました、」と挨拶すると、沼南は苦笑いして、「この家も建築中から抵当に入ってるんです」といった。何の必要も・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ こいつ悪く気を廻しやがって……なあ、こないだ金之助てえ男が訪ねて来たろう」「うむ、海に棲んでる馬だって、あの大きな牙を親方のとこへ土産に持って来たあの人だろう」「あいつさ、あいつはあれ限りもう来ねえのか?」「来ねえようだよ」・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は、おそらく物心ついてからの口癖であるらしく、表情一つ動かさず、しいていうならば、綺麗な眼の玉をくるりくるりと廻した可愛い表情で、「私か、私はどないでもよろしおま」 あくる日、金助が軽部を訪・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 何一つ道具らしい道具の無い殺風景な室の中をじろ/\気味悪るく視廻しながら、三百は斯う呶鳴り続けた。彼は、「まあ/\、それでは十日の晩には屹度引払うことにしますから」と、相手の呶鳴るのを抑える為め手を振って繰返すほかなかった。「……・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・彼女は前庭の日なたで繭をにながら、実際グレートヘンのように糸繰車を廻していることがある。そうかと思うと小舎ほどもある枯萱を「背負枠」で背負って山から帰って来ることもある。夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希臘の水瓶・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 黒く磨かれた、踵の高い靴で、彼女はきりっと、ブン廻しのように一とまわりして、丘の方へ行きかけた。「いや、うそだうそだ。今さっきほかの者が来てすっかり持って行っちゃったんだ。」 松木はうしろから叫んだ。「いいえ、いらないわ。・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
出典:青空文庫