・・・鴎外が董督した改訂六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の恨事でもあった。 鴎外が博物館総長の椅子に坐るや、世間には新館長が積弊を打破して大改革をするという風説があった。丁度その頃、或る処で鴎外に会・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 六国史などを読んで、奈良朝の昔にシナ文化の洪水が当時の都人士の生活を浸したころの状態をいろいろに想像してみると、おそらく今の東京とかなり共通な現象を呈していたのではないかと思われることがしばしばある。惜しいことにそのころの写真が残って・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・パーレー万国史、クヮッケンボス文典などという書名を連ねた紙片に過ぎなかったが、それが恐ろしく幼い野心を燃え立たせた。いよいよパーレーを買いに行ったとき本屋の番頭に「たいそうお進みでございますねえ」といわれてひどくうれしがったものである。その・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ 階下の一室は昔しオルター・ロリーが幽囚の際万国史の草を記した所だと云い伝えられている。彼がエリザ式の半ズボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左りの上へ乗せて鵞ペンの先を紙の上へ突いたまま首を少し傾けて考えているところを想像して見た。しか・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 国民学校での教育方針も様々に考慮されているようである。国史のようなものがこれ迄より重視されることも意味はあるだろうけれども、数学・理科をより軽く見る傾きが極端になれば、それは過ぎたるは及ばずにもなる。年限の永さが教育の実質の高さを直接・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・ 私たちは西洋史も東洋史も国史も習って来たわけであった。けれども、今より進歩した欲求で人類の文化の跡を見直したいと思う時それらの知識は散漫なものだと感じられる。わかりやすく、やさしい本ということでコフマンの「世界人類史物語」を軽蔑する必・・・ 宮本百合子 「世代の価値」
・・・皆活板本で実記は続国史大系本である。翁草に興津が殉死したのは三斎の三回忌だとしてある。しかし同時にそれを万治寛文の頃としてあるのを見れば、これは何かの誤でなくてはならない。三斎の歿年から推せば、三回忌は慶安元年になるからである。そこで改めて・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・卒業論文には、国史は自分が畢生の事業として研究する積りでいるのだから、苛くも筆を著けたくないと云って、古代印度史の中から、「迦膩色迦王と仏典結集」と云う題を選んだ。これは阿輸迦王の事はこれまで問題になっていて、この王の事がまだ研究してなかっ・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫