海に近く、昔の城跡がありました。 波の音は、無心に、終日岸の岩角にぶつかって、砕けて、しぶきをあげていました。 昔は、このあたりは、繁華な町があって、いろいろの店や、りっぱな建物がありましたのですけれど、いまは、荒れて、さびし・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。旱のためうんかがたくさん田に湧いたのを除虫・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 浅間の麓に添うた傾斜の地勢は、あだかも人工で掘割られたように、小諸城址の附近で幾つかの深い谷を成している。谷の一つの浅い部分は耕されて旧士族地を取囲いているが、その桑畠や竹薮を背にしたところに桜井先生の住居があった。先生はエナアゼチッ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・で行くと、人々がお城へ行こう、お城へ行こうと囁き合っているのを聞いたので、なるほどお城にのぼったら、火事がはっきり、手にとるように見えるにちがいないと私もそれに気がついて、人々のあとについて行き、舞鶴城跡の石の段々を、多少ぶるぶる震えながら・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・ 僕の大きくなった士族町からは昔の城跡が近かった。不明門という処があった。昔、其処に閉じたままの城門があったので、それで名に呼ばれて居るのであるが、其頃は門などはもうなく、石垣の間からトカゲがその体を日に光らせて居た。濠の土手に淡竹の藪・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・いつか英国人の宣教師の細君が旧城跡の公園でテントを張って幾日も写生していた事があった。どんなものができているかのぞいてみたくてこわごわ近づくと、十二三ぐらいの金髪の子供がやって来て「アマリ、ソバクルト犬クイツキマース」などと言った。実際そば・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・夏休みは標本採集の書きいれ時なので、毎日捕虫網を肩にして旧城跡の公園に出かけたものである。南国の炎天に蒸された樹林は「小さなうごめく生命」の無尽蔵であった。人のはいらないような茂みの中には美しいフェアリーや滑稽なゴブリンの一大王国があったの・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・狭い村道の向こう側は一面の青田で向こうには徳川以前の小さい城跡の丘が見える。古風な屋根門のすぐわきに大きな楝の木が茂った枝を広げて、日盛りの道に涼しい陰をこしらえていた。通りがかりの行商人などがよく門前で荷をおろし、門流れで顔を・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・その頃、小田原の城跡には石垣や堀がそのまま残っていて、天主台のあった処には神社が建てられ、その傍に葭簀張の休茶屋があって、遠眼鏡を貸した。わたくしが父に伴われて行った料理茶屋は堀端に生茂った松林のかげに風雅な柴折門を結んだ茅葺の家であった。・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・後年に至って、わたくしは大田南畝がその子淑を伴い御薬園の梅花を見て聯句を作った文をよんだ時、小田原城址の落梅を見たこの日の事を思出して言知れぬ興味を覚えた。 父は病院に立戻ると間もなく、その日もまだ暮れかけぬ中、急いで東京に帰られた。わ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
出典:青空文庫