橋場の玉川軒と云う茶式料理屋で、一中節の順講があった。 朝からどんより曇っていたが、午ごろにはとうとう雪になって、あかりがつく時分にはもう、庭の松に張ってある雪よけの縄がたるむほどつもっていた。けれども、硝子戸と障子と・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・僕はかつてこういうことがある、家弟をつれて多摩川のほうへ遠足したときに、一二里行き、また半里行きて家並があり、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる、この変化のあるのでところどころに生活を点綴している趣味のおも・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川のような川が、ほかにどこにあるか。その川が平らな田と低い林とに連接する処の趣味は、あだかも首府が郊外と連接する処の趣味とともに無限の意義がある。 また東のほうの平面を考えられよ。・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中ほどに亀屋という旅人宿がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい陰鬱な寒・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・常陸より甲斐に至らんに武蔵よりせんには、荒川に沿いて上ると玉川に沿いて上るとの二路あり。三峰、武光、八日見山を首とし、秩父には尊の通り玉いし由のいい伝え処々に存れるが、玉川の水上即ち今の甲斐路にも同じようの伝説なきにあらず。また尊の酒折より・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・秋草さんのようなお店でも御覧なさいな、玉川の方の染物の工場だけは焼けずにあって、そっちの方へ移って行って、今では三越あたりへ品物を入れてると言いますよ――あの立派な呉服屋がですよ」 こう新七は言って、小竹の旦那として母と一緒に暮した時代・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 府中から百草園に行くのも面白い。玉川鉄道で二子に行って若鮎を食うのも興がある。国府台に行って、利根を渡って、東郊をそぞろあるきするのも好い。 端午の節句――要垣の赤い新芽の出た細い巷路を行くと、ハタハタと五月鯉の風に動く音がする。・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた。 世田が谷という所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが、今ここを通って始めて知った・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田や畠も兵器の製造場になったものとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされてい・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・春雨やいざよふ月の海半春風や堤長うして家遠し雉打て帰る家路の日は高し玉川に高野の花や流れ去る祇や鑑や髭に落花をひねりけり桜狩美人の腹や減却す出べくとして出ずなりぬ梅の宿菜の花や月は東に日は西に裏門の寺・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫