・・・御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、でんぼう肌の畸人だったのです。「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のよ・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・「奇人だ。」「いや、……崖下のあの谷には、魔窟があると言う。……その種々の意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨に崖くずれがあって、大分、人が死んだ処だから。」―― と或友だちは私に言った。 炎暑、極熱のための疲労に・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・それ故に椿岳の生涯は普通の画人伝や畸人伝よりはヨリ以上の興味に富んで、過渡期の畸形的文化の特徴が椿岳に由て極端に人格化された如き感がある。言換えれば椿岳は実にこの不思議な時代を象徴する不思議なハイブリッドの一人であって、その一生はあたかも江・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・実業界に徳望高い某子爵は素七 小林城三 椿岳は晩年には世間離れした奇人で名を売ったが、若い時には相当に世間的野心があってただの町人では満足しなかった。油会所時代に水戸の支藩の廃家の株を買って小林城三と改名し、水戸家に金千両を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・さりとて偏物でもなく、奇人でもない。非凡なる凡人というが最も適評かと僕は思っている。 僕は知れば知るほどこの男に感心せざるを得ないのである。感心するといったところで、秀吉とか、ナポレオンとかそのほかの天才に感心するのとは異うので、この種・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・でも面白い気象の人で、近在へでも行くと、薬代が無けりゃ畠の物でも何でも可いや、葱が出来たら提げて来い位に言うものですから、百姓仲間には受が好い。奇人ですネ」 そういう学士も維新の戦争に出た経歴のある人で、十九歳で初陣をした話がよく出る。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・老博士も、やはり世に容れられず、奇人よ、変人よ、と近所のひとたちに言われて、ときどきは、流石に侘びしく、今夜もひとり、ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。夏のころの、これは、お話でございます。新宿は、たいへんな人出でございます。博士は、よれ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・世の中から変人とか奇人などといわれている人間は、案外気の弱い度胸のない、そういう人が自分を護るための擬装をしているのが多いのではないかと思われます。やはり生活に対して自信のなさから出ているのではないでしょうか。 私は自分を変人とも、変っ・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・ただ畸人としてのS先生の奇行を想い浮べて笑われたのだろうというくらいにしか思っていなかった。 それから永い年月が経った。夏目先生が亡くなられて後、先生に関する諸家の想い出話や何かが色々の雑誌を賑わしていた頃であったと思うが、ある日思いが・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・天下の奇人で金をたくさん持っていてそうして百年後の日本を思う人でも捜して歩くほかはない。 汽車が東京へはいって高架線にかかると美しい光の海が眼下に波立っている。七年前のすさまじい焼け野原も「百年後」の恐ろしい破壊の荒野も知らず顔に、昭和・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
出典:青空文庫