・・・ 彼は立ち上って、まじめくさり、「クラス会は、それじゃ、仕方が無い、俺が奔走してやるからな、後はよろしくたのむよ。きっと、面白いクラス会になると思うんだ。きょうは、ごちそうになったな。ウイスキイは、もらって行く」 それは、覚悟し・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・朝早くから、夜おそく迄、れいの仕事の手助けに奔走した。人から頼まれて、拒否した事は無かった。自分の其の方面に於ける能力の限度が、少しずつ見えて来た。私は、二重に絶望した。銀座裏のバアの女が、私を好いた。好かれる時期が、誰にだって一度ある。不・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・元老、鶴屋北水の推薦と、三木朝太郎の奔走のおかげで、さちよは、いきなり大役をふられた。すなわち、三人姉妹の長女、オリガである。いいかい、オリガは、センチメントおさえて、おさえて、おさえ切れなくなる迄おさえて、幕切れで、どっとせきあげる、それ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・兵士、輸卒の群れが一生懸命に奔走しているさまが薄暮のかすかな光に絶え絶えに見える。一人の下士が貨車の荷物の上に高く立って、しきりにその指揮をしていた。 日が暮れても戦争は止まぬ。鞍山站の馬鞍のような山が暗くなって、その向こうから砲声が断・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から、地震に対する特殊の研究機関の必要を痛感し、時の総長古在由直氏に進言し、その後援の下に懸命の努力をもって奔走した結果、遂に東京帝国大学附属地震研究所の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・交通の便利な今のわれわれにはちょっと想像し難いほどの長い留守を明けたものであるが、若い時から半分以上は他国を奔走してばかりいた父には五年くらいの留守は何でもないことであり、留守を守る祖母や母も当り前の事と思っていたものらしい。当時の土佐と熊・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・湖山は維新の際国事に奔走した功により権弁事の職に挙げられたが姑くにして致仕し、其師星巌が風流の跡を慕って「蓮塘欲レ継梁翁集。也是吾家消暑湾。」と言った。然し幾くもなくして湖山は其居を神田五軒町に移した。 明治年間池塘に居を卜した名士にし・・・ 永井荷風 「上野」
・・・それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・上下挙って奔走に衣食するようになれば経世利民仁義慈悲の念は次第に自家活計の工夫と両立しがたくなる。よしその局に当る人があっても単に職業として義務心から公共のために画策遂行するに過ぎなくなる。しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はま・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ ところが帰るや否や私は衣食のために奔走する義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一軒稼ぎました。その上私は神経衰弱に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載せなけれ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
出典:青空文庫