・・・には目をくれたくない程、生活の実情によって前進させられているのだから、その感情の奥底にある一つの太い流れ、「何から何までどうせ自分たちでやって行かなければならないのだから」という思いを、屈托した不平の呟きとせずこの際、それを条理をもって整理・・・ 宮本百合子 「現実に立って」
・・・作者として一郎のこの不満に万腔の支持を与えている漱石は、翻って直の涙の奥底をどこまで凝っと見守ってやっているだろう。直は、家庭のこまこました場合、淋しい靨をよせて私はどうでも構いませんというひとである。「妾のような魂の抜殼はさぞ兄さんにはお・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・けれども、おけいちゃんがどうして受かる筈の試験をはずしたかという苦しい事情の奥底までは、察しる智慧がなかったのであった。 卒業式がすんでしまうと、裏のおばあさんのところへ何度行ってもおけいちゃんには会えないようになった。ねえ、おばあさん・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・ 人類が生活している間中には、どんなに早く駈け抜けて仕舞おうとしても馳け切れないものがあり、又、どんなに自分では縁を切った積りでも、生命のある限り他人にはなり切れないものが、奥底の底に在るのではあるまいか。 何と云っても、本当のもの・・・ 宮本百合子 「一粒の粟」
・・・の結末に於て、ゴーリキイは「病んだ心臓の奥底から」「春の最初の花のような」人生への希望が甦って来たこと、決して「どっちにしろ同じ」じゃないということを、全身に感じたこと、最後に、パン焼職人の荒々しい手を確り握って笑いながら、涕泣しながら、こ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・しかし我々の要求するのはこの種の技巧上の生気ではない。奥底から滲み出る生命の生気である。この要求を抱いて院展の諸画に対する時、我らはその人格的香気のあまりにも希薄なのに驚かされる。たまたま強い香気があるとすれば、それはコケおどしに腐心する山・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・人間の奥底にひそんでいるのだ。自分の胸から掘り出すべきものだ。デュウゼはそれを知っていた。自分の芸によって観客の感激――有頂天、大歓喜、大酩酊――の起こっている時、彼女は静かに、その情熱を自己の平生の性格の内に編みこむため、非常なる努力をし・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・それを読んで行くと、いかにも静かではあるが、しかし心の奥底から動かされるような気持ちがする。特に敬服に堪えないのは、先生のいかにも柔軟な、新鮮な感受性である。都会育ちの先生が、よくもこれほど細かに、濃淡の幽かな変化までも見のがさずに、山や野・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・私は底力のある興奮を心の奥底に感じ始めた。 私の眼はすぐに老樹の根に向かった。地下の烈しい営みはすでに地上一尺のところに明らかに現われている。土の層の深くないらしいこの山に育ってあの亭々たる巨幹をささえるために、太い強靱な根は力限り四方・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
・・・象徴をきらうものは自己の奥底に「世界の根本実在」としてこの力を認めた。そうして全然この力を認める事のできない者は、同じく自己を圧倒する力として虚無を信じた。――ドストイェフスキイの見破ったのは、この、人格の上に働く力の、深秘な活動である。同・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫